11月28日デットモルド市長表敬訪問

■日独交流セミナーに参加して

 第1章 序論
 第2章 本論
   第1節 交流のコツ
   第2節 ドイツの現状
   第3節 ドイツYHの現状
   第4節 セミナーについて
     11月26日オリエンテーション
     11月26日ビーネフェルトYH
     11月27日第1回セミナー1
     11月27日第1回セミナー2
     11月27日第2回セミナー1
     11月27日第2回セミナー2
     11月27日ヒルデさん宅訪問
     11月28日ビーネフェルトYH見学
     11月28日第3回セミナー
     11月28日第4回セミナー
     11月28日ドーン氏挨拶
     11月28日デットモルド市長
     11月29日ドレスデンYH到着
     11月30日第5回セミナー
     11月30日日独討論会
     11月30日バロック宝庫訪問
     11月30日第6回セミナー
     11月30日ドレスデンYHの見学
     11月30日ドレスデンの歴史ツアー
     12月01日バウツェンを訪問
     12月01日YHにて昼食
     12月01日ゼンパーオペラ訪問
     ドイツにおけるガイドの問題点
     12月02日フラウエンシュタインYH
     12月02日ザイダYHへ
     12月03日ザイフェン(Seiffen)訪問
     12月03日グトゥルン・シルマン

 第3章 結論

11月28日デットモルド市長表敬訪問

 ドイツユースホステル協会の本部が、デトモルト市にあることはすでに述べました。そのデトモルト市庁舎に私たちは表敬訪問に訪れたわけですが、この表敬訪問も、ものすごく実り多い訪問でした。まず私たちが会議室に通されますと、若い腰の低い市長がやってきて、次々と握手を求めてきました。

 一般的に言ってドイツ人は腰が低くありません。
「やけに腰が低い市長だな」
と感心していると、ドイツの市長はああでないと当選しないのだそうです。
 市長は、市民にサービスする立場だからです。
 やがて市長は演説をはじめました。

「デトモルトには、130ヶ国の外国人が住んでいます。そして、30もの宗教を信仰する人たちが住んでいる国際都市です。75000人の外国人がおり、帰化した旧外国人は15000人もいます。また、収入の6割は工業製品の輸出にたよっており、デトモルト市は外国人と外国を重要なパートナーと考えています。また、デトモルトではツーリズムも盛んでした。長い歴史があり、お城もあり、王様と王女様が今でも住んでいます。そしてデトモルトは、1918〜1945年までリッペという王国の首都でもありました」

 リッペとは、おそらくリッペ=デトモルト侯国のことでしょう。リッペ=デトモルト侯国は、1720年に帝国諸侯に昇格し、ドイツ帝国・ワイマール共和国時代も侯国として続きました。

 といってもバイエルン王国のように、独立国というわけではなく、リッペ=デトモルト侯国で一つの州をなしていました。これが第二次大戦の終了と共に、イギリス軍の政策として、旧プロイセン領であったライン地方の大部分とヴェストファーレン地方をリッペ=デトモルト州と合併させることによって、ノルトライン=ヴェストファーレン州が生まれ、リッペ候国は終了したのです。

 イギリスのねらいは、プロイセン領の分割によるプロイセン解体政策にありましたが、そのおかげでリッペ候国が消滅してしまったことは、リッペ候国としては良い迷惑だったかもしれません。

 余談になりますが、デトモルトに隣接するレムゴ市は、オランダ医師として江戸時代に来日したケンペルの生地でもありケンペル・ギムナジウムという高等学校もあり、そこでは日本語の授業さえあります。ビーレフェルト市のギムナジウムでは、日本語の授業外活動を始めたところ、120人もの生徒が集まったという報告もあり、この新しい需要に対応するための教師養成と資金確保が大きな課題となっているとのこと。

 市長の演説は続きます。

「さらにデトモルトは、ドイツの真ん中にあり、最重要都市でもあります。ワイマールのような文化都市なのです。その文化のために多くの旅人がやってきました」

 ここでドイツユースホステル協会のドーン氏がニコリと頷きました。
 何故、ドイツユースホステル協会がデトモルトにあるのか?
 と言わんばかりです。

「今、EUには深刻な不況が問題となっていますが、このデトモルトでは全く問題はありません。なぜならば文化都市だからです。文化には不況は関係有りません。その文化の一翼を担っているのがドイツユースホステル協会の本部です。デトモルト市は、ドイツユースホステル協会本部がデトモルトにあることを誇りに思っています。聞くところによるとドイツユースホステル協会では、2009年にイベントを企画しているとか?」

「はい、2009年は、シルマンのユースホステル運動が始まってから、100周年になります。それで100周年の記念イベントを企画しています」

「実は、2009年の2000年前、西暦9年に、このデトモルトではある事件がおきています。ゲルマン民族が、トイブルク森でローマ軍の侵略を防いだのです」

 ローマ軍が進軍したトイトブルクの森では、待ち伏せていたゲルマン諸部族による襲撃によって一方的に殺戮され、3万人のローマ軍兵士が全滅し、生存者はゼロでした。この敗北によってローマはライン川より東方のゲルマニアへと領土を拡大しようとする意図を完全に失い、ロマンス語とゲルマン語の境界ともなり、それゆえのちにはフランスとドイツの境界ともなったと言われています。

「その御祝いをデトモルトでは、2009年に企画していますが、戦争の勝利を祝うのではありません。青少年とEUの平和を祝うのです。もちろんローマ人たちも招待します。その時は、ドイツユースホステル協会もパートナーとなってくれますか?」
「2009年のドイツユースホステル協会のイベントは、3ヶ所で行われます。アルテナ・ベルリン・デトモルトです。私たちは、このデトモルトを一番重要だと考えています。デトモルトはグローバル化を進めてきた街です。このような素晴らしい街こそユースホステル運動の理念にかなう素晴らしい街です。では、日本の皆さんは、2009年のイベントについて何かございますか?」
「(日本側の答弁は栗原団長・以下省略)・・・・・」

 表敬訪問の後、私たちはてんこもりのお土産をもらったあげく、市内見物の間、荷物を置かせてもらい、そのうえ市庁舎から出て行くまで、ずっと見送ってもらいました。最後まで腰の低い市長さんでした。
このサイトに関するお問い合わせは、北軽井沢ブルーベリーYGHの佐藤まで御連絡ください。

トップへ戻るリンクサイトマップユースホステル利用法ユースホステル研究室ユースホステルヘルパー募集