■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
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第20回国際ユースホステル会議(1959年)
1959年ユースホステル運動の誕生50周年を記念してドイツのアルテナ城で5月31日祝賀式典が開かれた。国際ユースホステル会議がこの年にユースホステル発祥の地ドイツで開かれたのは、まことに時宜を得たものであった。
ライン河をみおろす高台にあるエーレンブライト・シュタインでのめざましいユースホステルラリーの後、会議はバート・ゴーデスベルクで開かれた。当夜、各国代表はドイツ連邦共和国大統領ホイス博士のボンの官邸に迎えられた。その後、会議は再び場所をかえてドゥイスブルクで行われた。
ギリシャとポルトガルのユースホステル協会は連盟の会員として加入を認められたが、南アフリカの白人協会と黒人協会を、ともに傘下にふくむ組織を承認する申請は却下された。
調査委員会は新設のユースホステルにたいして、いかにして援助を与えることができるかという問題をとりあげた。その後、実際上の諸問題を審議するため特別小委員会を設け、会計担当とかけあった。提案の一つは、前会長ジャック・キャッチプール氏が(初めてではないが)出したものでヨーロッパから遠隔の地にある各国負担を少なくするために、会議代表の旅費のプール制度を実施すべきということであった。この提案の採用はされなかったが、これで現在のやり方にはいろいろ難しい点があることがはじめて広く認識された効果はあった。
1959年11月第2回アジア会議がインドで開かれた。これにも8ヶ国から代表とオブザーバー、それにIYHF執行委員の代表としてブラッドレー氏が参加した。会議はインド運輸大臣によって開会され、他の会議にはインド副大統領、デリー大学副総長、科学大臣、教育大臣を兼任するラダクリシナン博士のあいさつがあった。
1960年1月ユースホステル協会(イングランド・ウェールズ)の主催でホステリングの国際面を討議するため、ユースホステル管理人会議がロンドンで開かれた。根本的には英国の要請に応じたものであったが、会議にはベルギー、デシマーク、ドイツ、オランダからの管理人が参加し、IYHFは彼らの旅費に補助金を出した。
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