■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
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第12回国際ユースホステル会議(1950年)
第12回国際ユースホステル会議はイングランドのアッシュリッジで開催された。これに先立って国際ラリーがオールドベリー共有地のブリッジウォター・モニュメント・フィールドに約1,500のホステラーを集めて行われた。
その中には当時アメリカ・ユースホステル協会の会長のジョン・D・ロックフェラー3世も含まれていた。会議はイギリスの教育省の永久書記であるジョン・モードの出席のもとで開かれた。
21会員協会の代表と4協会、ユネスコのオブザーバーならびに多くの出席者は報告に耳を優けた。2名の会員が新たに加入を許された。ドイツとザール地区である。
5年の永きを経てドイツは再び我が国際ユースホステルの家族の一員となった。この決定の故にこの会議を以前の会議に比べ一段と優ったものとしたと云えよう。これは賢明にしてかつ影響するところの大きい決定であった。これはまた全ての会員がユースホステルを、この混乱した世界に是が非でも必要な、平和と国際的理解の手段にしたいという希望をもっている証拠である。
かくて国際ユースホステルは二つの新会員を得た。しかし一方我々は連盟の親愛なる会長ジョン・キャッチプールを失ったのである。彼はユースホステル協会(英国)の書記長の職を退いたので、再選を望まなかったのである。連盟のキャッチプールに負う所は実に大であった。戦前の連盟の性格を形成したのは彼の個人的影響力、寛容の精神、広い視野であった。
閉会に当たり新任の会長L・メイリンク氏はキャッチプールの偉大な功績を顕彰するために国際ユースホステル連盟の金バッチを贈呈した。またユースホステル運動の創始者であり、最初の国際ユースホステル連盟会長であったリヒャルト・シルマンにも同様なバッジが贈られた。2人ともその優秀な頭脳と時間と全精力とをユースホステル運動に捧げたのである。 |