■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
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第9回国際ユースホステル会議(1947年) 次の会議はオランダ・ブラリクムで1947年9月1目から7日まで開かれた。20の会員協会より代表が出席し、その外ユネスコとアルジェリア、パレスチナ、チュニジア3非協会会員ユースホステル協会よりオブザーバーが出席した。
全般的にユースホステル運動への関心は増大しており、国際事務局には世界中から照会が集まった。また国際執行委員会の報告によれば、パレスチナ、アイスランド、イタリア、オーストリア、北アフリカ(チュニジア、モロッコ、アルジェリア)、オーストラリアに新たな活動が始まり、一方ドイツ・ユースホステル協会も急速にその基礎を固めつつあった。
新たにオーストラリア、ルクセンブルグ、モロッコ、オーストリアの加入が認められた。フィンランド・ユースホステル協会はフィンランド旅行協会に吸収され、国際ユースホステルの会員資格は後者に移った。
フランスでは3つの対立的ユースホステル協会、フランス同盟、フランス連合、一般人同盟−が連合することに意見一致し、フランス青年宿泊所協会(Fon-dation Francaise Des Auberges de la Jeunesse)を創立した。この新協会はフランスの唯一の会員として認められた。一方「一般人青年宿泊所」運動は個別的に会員資格を申請したが拒絶された。ベルギー、英国の如くもとから分かれており、かつ或る程度地域別になっている場合を除き、会議は1国1協会の原則を貫徹する意向であった。
オランダのユリアナ内親王も会期中オブザーバーとして臨席され、オランダ政府のホステル運動に寄せる深い関心の程を示された。
各代表がこの会議を通じて感得した戦後の会議の相違は満足すべきものであった。戦前の会議における緊張、不信、勢力争いは、善意と相互理解の精神に変わった。
今日英語が(ドイツ語にかわって)連盟の公用語となったが、英語を話さない代表のことも忘れることはなかった。ストラスブルクのアルフレッド・テオドール氏の努力によりフランス語の同時通訳が行われた。(4年後にはドイツ語の同時通訳も加えられた。)
一部の協会は復興途上のドイツ・ユースホステル運動に関心を払い、奉仕団を組織し、青年および管理人の交流を促進して援助に努めた。
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