■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
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第11回国際ユースホステル会議(1949年)
第11回会議に先駆けて、国際集会がユトランドのシルケボルクに世界のホステラー約1,500人が参集して開かれた。会議は1949年8月22日の月曜の午後、デンマーク教育相ハルトウイッヒ・フリッシュ博士が開会を宣し、コペンハーゲン付近のフムレベークのクロゲルプ高校で行われた。
この会議ではイタリア、チュニジア、アルジェリアが新会員として加入を許され、国際ユースホステル連盟はますます拡大した。多くの細目事項−ホステル相互自由利用の容易化、会員の交流等−も審議された。
「ヒッチ・ハイキング」についてあらゆる論議が集中したが、会議はヒッチ・ハイキングがホステルの基本原則、即ち自主独立、田園の踏破、自然の愛惜等の精神に添わないとしてこれに反対の立場をとった。単なるハイキング、自転車旅行だけを助長して行く方針である。
新執行部の選挙に当たって、メイリンク氏が再選を望まなかったので会議は新しい書記長を選ぶ必要に迫られた。
会議は仕事の重要性が増して来たのに鑑みて、書記長および財務係を別々に指名することに決め、オルセン氏とヤング氏を選んだ。両氏ともこの運動の古くからの同志であり、経験豊かで能力もあり、優秀な人物である。
この委員会は事業を推進し、英国バークアムステッドのボナー法科大学で開催される予定の第12回会議の準備を整えた。
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