■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
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第10回国際ユースホステル会議(1948年)
かくて1年は過ぎ、第10回目を迎えた国際ユースホステル会議は、ダブリンにおいて、アン・オイゲ、アイルランド・ユースホステル協会の暖かい雰囲気の中に開催された。同協会のホステルは全てホステラー白身の手で建設し、運営する小さなもので、連盟のうちに異色ある位置を占めているが、欧州は最初のホステルが創設された時の精神をそのまま受けついでいる。
キルブライド・ホステルは以前兵営であったが、平和な時代にアン・オイゲに譲渡されたもので、ウイックロウ山脈の隔絶した渓谷にある。そこで行われた国際ラリーは霧がひどく、夜は寒かったが大成功を収めた。
18の会員協会がそれぞれ代表を送り、会員資格申請中の4協会がオブザーバーを送った。ユネスコもオブザーバーを1名出席させた。この会議で新しく加入を認められた会員は一つもなく、2、3の決定は次回会議に持ち越された。フランスの第2番目のユースホステル協会「フランス青年宿泊所一般人運動」は加入を拒否された。会議は規約に関する事項に時を割き、また多数の国の活動状況を聴取したが、全般的には、各個別協会が努力していると同様に、団結のために主力を注いだ。
実現した仕事の中でも、国際歌謡集の刊行(オランダ・バックム・ホステルの管理人・レオ・ロンメルツ編纂)のお蔭で国際ラリーも、多くのホステルの歌声も豊かとなった。
同年、連盟は再びフランスに統一のユースホステルを生み出すよう努力し、国際ユースホステル連盟副会長司会の下にパリで会合を開いたが、残念ながらこの努力も再び水泡に帰した。
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