第10回国際ユースホステル会議(1948年)

■国際ユースホステル連盟の歴史
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 第10回ユースホステル会議(1948年)
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第10回国際ユースホステル会議(1948年)

 かくて1年は過ぎ、第10回目を迎えた国際ユースホステル会議は、ダブリンにおいて、アン・オイゲ、アイルランド・ユースホステル協会の暖かい雰囲気の中に開催された。同協会のホステルは全てホステラー白身の手で建設し、運営する小さなもので、連盟のうちに異色ある位置を占めているが、欧州は最初のホステルが創設された時の精神をそのまま受けついでいる。

 キルブライド・ホステルは以前兵営であったが、平和な時代にアン・オイゲに譲渡されたもので、ウイックロウ山脈の隔絶した渓谷にある。そこで行われた国際ラリーは霧がひどく、夜は寒かったが大成功を収めた。

 18の会員協会がそれぞれ代表を送り、会員資格申請中の4協会がオブザーバーを送った。ユネスコもオブザーバーを1名出席させた。この会議で新しく加入を認められた会員は一つもなく、2、3の決定は次回会議に持ち越された。フランスの第2番目のユースホステル協会「フランス青年宿泊所一般人運動」は加入を拒否された。会議は規約に関する事項に時を割き、また多数の国の活動状況を聴取したが、全般的には、各個別協会が努力していると同様に、団結のために主力を注いだ。

 実現した仕事の中でも、国際歌謡集の刊行(オランダ・バックム・ホステルの管理人・レオ・ロンメルツ編纂)のお蔭で国際ラリーも、多くのホステルの歌声も豊かとなった。
 同年、連盟は再びフランスに統一のユースホステルを生み出すよう努力し、国際ユースホステル連盟副会長司会の下にパリで会合を開いたが、残念ながらこの努力も再び水泡に帰した。

もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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