第1回国際ユースホステル会議(1932年)

■国際ユースホステル連盟の歴史
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第1回国際ユースホステル会議(1932年)

 1932年8月4日、オランダ・ユース・ホステル協会はアムステルダムで開催予定の第1回国際ユース・ホステル会議に書記長を送るよう、オーストリア、ベルギー(フランダース)、チェコスロバキア(ズデーテン・ドイツ)、デンマーク、アイルランド、イングランド・ウェールズ、フランス(フランス連盟)、ドイツ、北アイルランド、ノールウェー、スコットランド、スイス各国を招請した。このうち10協会がこれを受諾し、第1回国際ユース・ホステル会議は1932年10月20日、アムステルダムYMCAホテルで、オランダ教育相代理P・ラバン氏司会の下に開催された。

 会議参加者は次の通り−

ベルギー 書記長 J・ド・コム氏
 (フランダース)−ヴラームゼ青年宿泊所連盟

チェコスロバキア 会長 ワルター・シモン氏
 (ズデーテン)−ドイツ青年宿泊所同盟

デンマーク 書記長 エリク・ぺーデルセン氏 宿泊所連盟 副書記長 クレプス嬢

アイルランド 書記長 C.E.トレンチ氏 執行委員コルム・オロクレン氏−アン・オイゲ(アイルランド・ユース・ホステル協会)

イングランド・ウエールズ 書記長 E・セント・J・キャッチプール氏 副書記長メア
リー・ランダー嬢 ユース・ホステル協会(イングランド・ウエールズ)

フランス 書記 アルヌ・ビョルンソン・ランチャン氏 書記 J・M・サンニエ氏
 パリ・ホステル管理人 ダンビュイアン嬢 フランス青年宿泊所連盟

ドイツ 会長 リヒアルト・シルマン氏 書記長 ウィルヘルム・ミュンカー氏
 ドイツ青年宿泊所帝国同盟

オランダ 書記長 H.L.F.J.ディーレン氏 副書記長 L.メイリンク氏
 オランダ青年宿泊所連盟

ノールウェー 副会長 エリング・オウレン氏 執行委員 エリク・スエンク・ソルム氏 ノールウェー王国宿泊所

ポーランド 教育省体育学校衛生局長 J・ブロンスキー氏 運輸省観光局代表 M・オルロビィツ博士

スイス 会長 A・ベルナスコニ氏 書記長 オットー・ビンダー氏 執行委員 A・ディーゲルマン氏 
 スイス青年宿泊所同盟


 会議は会長にリヒアルト・シルマンを、書記長にF・J・ディーレンを選出した。そしてドイツ語が公用語となった。
 前途に横たわる困難の前兆はこの第1回会議にも既に認められた。ある者は緊密な協力を希望し、またある者は協議や情報の交換以上のものは欲しなかった。完全に統一した規約を望むものもあれば、また一方には融通性あることを望む者があった。大多数は青少年自体或いはその教師自身の要求から創設された任意寄付制団体であったが、ポーランドからは政府の代表として、主として、小中学生向に創設された政府のユース・ホステル機構の管理官が出席した。しかし我々はこの錯雑した問題を克服することができた。それはオランダのユース・ホステル協会が、この会議に各協会の責任者を招き、彼等は参集に際して指令に煩わされていないので、各自の団体に如何なる点においても累を及ぼすことなく自由に意見を交換し得たからである。この取計らいの結果、当然この第1回会合は貴重な成果を得たのである。これに続く戦前の会合の何れよりも実際的であったと云えよう。すべて自国におけるユース・ホステル事業の組織者である会議員は次の決議を採択した。

(a) 会員証−会員証の型、意匠、色、年度印、制限年令、指導者カード等に関する規定を作成した。現在の規定は1932年に決定したものと非常に似通っている。

(b) ホステル規約、ユース・ホステル建築、設備の要件

(c) この運動の指導原則を次の如く定義した。
 1 ホステルは人種、宗教、言語の区別なく万人に開放すること。
 2 ホステルはできるだけ低額の統一料金を徴収すること。
 3 常に若い人に優先権を与えること−大人のための安いホテルとしてはならない。
 4 1国にただ1つの組織のみを承認すること、但し人種的、宗教的理由から1つ以上の協会の存在が望ましい場合は例外とする。

(d) 具体的協力に関し次の如く了承する。
 1 言語の相違による障害を克服するためホステルハンドブックには国際図解文字を用いる。
 2 各協会は他協会発行の会員証を相互に承認する。
 3 刊行物、情報を交換する。
 4 国際的接触を持続し、でき得れば1933年秋第2回国際ユースホステル会議を開催する。
 本会議の会長及び書記長に対し次回会議の準備をし、随時回章をもって各国協会と連絡を保つことを指示する。


 会議の出席者は誰もがこの運動は国際的組織形成の途次にあることを認識していたにも拘らず、国際的協会はまだ創設されていなかった、しかしより重要だったのは前途の進路につき全般的に一致したことが立証された。この会議により我々の運動の構成、目的、役割につき全般的に一致したことが立証された。

 この第1回会議は協力的友好的雰囲気に包まれ、全出席者はドイツ青年宿泊所帝国連盟の招請によりドイツで開催されるはずの次回会合を待望していた。そのドイツに起ることとなった恐るべき変化を誰も夢想だにしなかったのである。1933年の夏を迎える前に、他国協会を鼓舞する存在であった独立下覇のドイツ・ユース・ホステル協会は、完全にその性格と構成員を変えてしまった。ドイツのユース・ホステル運動は国家社会主義政府の掌握する機関となった。

 この出来事は協力の精神を圧殺の危機に追い込んだ。
もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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