第8回国際会蟻(1946年)

■国際ユースホステル連盟の歴史
 第1回ユースホステル会議(1932年)
 第2回ユースホステル会議(1933年)
 第3回ユースホステル会議(1934年)
 第4回ユースホステル会議(1935年)
 第5回ユースホステル会議(1936年)
 第6回ユースホステル会議(1937年)
 第7回ユースホステル会議(1938年)
 戦争勃発
 戦後の再建
 第8回ユースホステル会議(1946年)
 第9回ユースホステル会議(1947年)
 第10回ユースホステル会議(1948年)
 第11回ユースホステル会議(1949年)
 第12回ユースホステル会議(1950年)
 第13回ユースホステル会議(1951年)
 第14回ユースホステル会議(1952年)
 第15回ユースホステル会議(1954年)
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 第17回ユースホステル会議(1956年)
 第18回ユースホステル会議(1957年)
 第19回ユースホステル会議(1958年)
 第20回ユースホステル会議(1959年)
 第21回ユースホステル会議(1960年)
 第22回ユースホステル会議(1962年)
 第23回ユースホステル会議(1963年)
 第24回ユースホステル会議(1964年)
 第25回ユースホステル会議(1965年)
 第26回ユースホステル会議(1966年)

第8回国際会蟻(1946年)

 スコットランドが引き続き会議を招請することとなり、準備委員会が数回の準備会を開いた後、第8回国際ユースホステル会議は1946年9月2日から8日まで、スコットランド・ロッホ・ローモンド・ユースホステルで開催された。この会議に先駈け、1938年のスイスでの会議に始められた例にならって、国際ユースホステル・ラリーが催された。

 かの「美わしのロッホ・ローモンドの岸辺」の歌にあふれた心の高鳴りと、離ればなれの7年間を経て旧友と親しく再会した喜びを、この会議の参加者は誰も忘れ得ないであろう。それにまたスコットランド一流の雨のためにテントが全部洗い流され、このため国の内外から集まった1,000の青年が追い立てられてホステルに雨宿りしたことも忘れられない想出である。しかし如何にスコットランドの空よりふる雨も、この戦後初の集いに盛り上がった感激と友情とを洗い流すことはできなかった。

 延期された1939年の会議で会員に推挙されたスウェーデン協会(S・T・F)は正会員として加入を許され、ルクセンブルグの加入については次回会議まで決定が持ち越された。
 ユースホステル運動の2人の創始者−リヒャルト・シルマンとウィルヘルム・ミュンカーもドイツを代表しオブザーバーとしてこの会議に出席した。2人は1933年以前の精神を土台にして再出発したドイツ協会を承認するよう懇請した。しかしナチの蛮行から受けた傷痕はなお生々しく苦々しいものがあったので、会議はこの問題を戦後初の会合で決定することを望まなかった。

 しかしこの会議の議題を見ても、新しい、幸先のよい出発であったと云えよう。青年が国際的規模でホステルを利用できるよう幾多の実際的な仕事が行われ、一方またユースホステルを再建し、戦禍を拭い去り、復興のため真に実際的な仕事を果たすため国際奉仕団の考えを戦前のボア・ル・ロアおよびミエルフェルの例に倣って促進するよう多大の関心が払われた。

 本会議は国際協力の緊密化の一手段として管理人の交流を新たに実施した。またグラハム・ヒース(イングランド)を編集者として国際機関誌(春季、秋季)を刊行することと、国際バッジを作成することを決定した。

 この外、イタリアおよび他の地中海諸国、北アフリカのユースホステル活動についての報告もあった。

 ユネスコからはオブザーバーが会議に出席し、国際教育機関として我々の活動に深い関心を持っていることを表明した。その後間もなく国際ユースホステル連盟(Iinternational Youth Hostel Federation)−この新しい名称は新たに承認された規約に記されたものである−はユネスコとの協議的地位を与えられた。

もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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