第19回国際ユースホステル会議(1958年)

■国際ユースホステル連盟の歴史
 第1回ユースホステル会議(1932年)
 第2回ユースホステル会議(1933年)
 第3回ユースホステル会議(1934年)
 第4回ユースホステル会議(1935年)
 第5回ユースホステル会議(1936年)
 第6回ユースホステル会議(1937年)
 第7回ユースホステル会議(1938年)
 戦争勃発
 戦後の再建
 第8回ユースホステル会議(1946年)
 第9回ユースホステル会議(1947年)
 第10回ユースホステル会議(1948年)
 第11回ユースホステル会議(1949年)
 第12回ユースホステル会議(1950年)
 第13回ユースホステル会議(1951年)
 第14回ユースホステル会議(1952年)
 第15回ユースホステル会議(1954年)
 第16回ユースホステル会議(1955年)
 第17回ユースホステル会議(1956年)
 第18回ユースホステル会議(1957年)
 第19回ユースホステル会議(1958年)
 第20回ユースホステル会議(1959年)
 第21回ユースホステル会議(1960年)
 第22回ユースホステル会議(1962年)
 第23回ユースホステル会議(1963年)
 第24回ユースホステル会議(1964年)
 第25回ユースホステル会議(1965年)
 第26回ユースホステル会議(1966年)

第19回国際ユースホステル会議(1958年)

 会議はブラッセル万国博覧会の大講堂で開かれ、次いで、その前の週末に青年ラリーが開かれたフランダースのディーストに移された。

 ポーランドのオブザーバー、ヨゼフ・クーラン氏は1939年以来はじめて会議に出席したポーランドユースホステルの代表として温かく迎えられた。南アフリカからのオブザーバーは、南アフリカの現行法が人種混合のホステルの建設を禁じているので、同国の有色人種のために一連のユースホステルの建設を計画していることを会議に報告した。長く、また時にきびしい討議の後、今までフランスが管理していた協会にかわって、新しいチュニジアユースホステル協会が会員として加入を認められた。

 会議とラリーの形式についての委員会はその報告を提出した。提出された主な目新しい提案は、会議を毎年ではなく2年毎に開催するべきものとしている点で、この提案は2年間試験的に実施されることになった。この報告はまた将来を予見するものであり、世界的な団体により適した組織、形態について若干の試案を行ったが、この提案に対しては何らの措置も講じられなかった。委員会は国際ラリーの価値や形式に関して何らの意見の一致を見ることができないままに終わり、報告は、ラリーが会議日に付随して行われるべきか否か決定するのを主催協会の判断にまかすべきであると示唆した。

もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

トップへリンクサイトマップユースホステル質問集ユースホステル利用法日本ユースホステル運動史