■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
|
第17回国際ユースホステル会議(1956年)
エディンバラの中心部で行われた青年集会に続き、1956年の会議は、スコットランドのはるか北のカービスディル城で行われた。会議に出席したオブザーバーのなかにはソ連、ナイジェリア、スペイン、北ローデシアからの各代表もいたが−これはユースホステルに対する関心が世界的なものになりつつあることを指示するものであった。会議は、巡回展覧会と各会員協会にはまわすカラースライド各種セットの費用を賄うための技術開発基金からの資金の割り当てを承認した。これ以外には、この会議で議論された問題には、興味の持続するものは一つとしてなかった。
ところで、レオ・メイリンク氏が、財務係12年に引き続き6年間占めていた会長の職を退いたことで、連盟の歴史の一つのエポックが終わったわけである。彼のいつも変わらないほがらかな態度、何ヶ国語も流暢にあやつる才能、特に政治家らしい国際問題に関する考え方、これらすべては、連盟をヨーロッパだけの組織から世界的組織に移行する困難な時期に、巧みに舵をとって切り抜けるのにあずかって力があったのである。
|