■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回ユースホステル会議(1932年)
第2回ユースホステル会議(1933年)
第3回ユースホステル会議(1934年)
第4回ユースホステル会議(1935年)
第5回ユースホステル会議(1936年)
第6回ユースホステル会議(1937年)
第7回ユースホステル会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回ユースホステル会議(1946年)
第9回ユースホステル会議(1947年)
第10回ユースホステル会議(1948年)
第11回ユースホステル会議(1949年)
第12回ユースホステル会議(1950年)
第13回ユースホステル会議(1951年)
第14回ユースホステル会議(1952年)
第15回ユースホステル会議(1954年)
第16回ユースホステル会議(1955年)
第17回ユースホステル会議(1956年)
第18回ユースホステル会議(1957年)
第19回ユースホステル会議(1958年)
第20回ユースホステル会議(1959年)
第21回ユースホステル会議(1960年)
第22回ユースホステル会議(1962年)
第23回ユースホステル会議(1963年)
第24回ユースホステル会議(1964年)
第25回ユースホステル会議(1965年)
第26回ユースホステル会議(1966年)
|
第3回国際ユースホステル会議(1934年)
執行委員会(名誉会員で会長であるリヒアルト・シルマン、書記長 H・L・F・Jディーレン博士、副会長 J.キャッチプール)は第3回国際ユースホステル会議の準備を整え、1934年10月17日〜21日、イングランドのウイラーズリー城で開催した。英国政府は連盟の活動を高く評価し、総理大臣ラムゼイ・マクドナルドはダウニング街10番地の官邸でレセプションを開いた。
前回の会合に出席の議員に加えて、今回は北アイルランド及びダンチヒ自由都市の協会が代表を送った。
この会議では組織を強固にし、規約及び相互自由利用協定を簡素化し、国際図解文宇を採用した。この文字は特にユース・ホステル・ハンドブックのためにスイスの美術家の手になった精巧な1組の印刷記号である。2回の会議を通じて代表は互に良く知り合い、以前の会議に比べると誤解も少くなった。ナチス代表は今度はダンチヒ代表の支援を受けたが、制服や、大型車や、護衛等の支持を失って裸になると、自国におけるほど目立たなくなった。
しかしながら、ダンチヒの存在は新たな権力政治への道を拓き、衛星協会国を作り上げるものであった。我々の規約にはその横行を取締る規定は見当らなかった。
フランスの第2の協会、一般人連盟が会員資格を求めて来た。会議は協力しようとの意向は表明したが、会員資格を認可しようとはしなかった。
|