■国際ユースホステル連盟の歴史
第1回国際会議(1932年)
第2回国際議会(1933年)
第3回国際会議(1934年)
第4回国際会議(1935年)
第5回国際会議(1936年)
第6回国際会議(1937年)
第7回国際会議(1938年)
戦争勃発
戦後の再建
第8回国際会蟻(1946年)
第9回国際会議(1947年)
第10回国際会議(1948年)
第11回国際会議(1949年)
第12回国際会議(1950年)
第13回国際会議(1951年)
第14回国際会議(1952年)
第15回国際会議(1954年)
第16回国際会議(1955年)
第17回国際会議(1956年)
第18回国際会議(1957年)
第19回国際会議(1958年)
第20回国際会議(1959年)
第21回国際会議(1960年)
第22回国際会議(1962年)
第23回国際会議(1963年)
第24回国際会議(1964年)
第25回国際会議(1965年)
第26回国際会議(1966年)
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国際ユースホステル連盟の歴史
国際ユースホステル連盟の歴史は、国際ユースホステル協会の資料、ユースホステルの手引きから引用抜粋しました。
1932年〜1950年までの資料は、レオ・メイリンク氏の記録であり、それ以降は、グラハムーヒース氏の記録です。レオ・メイリンク氏は、オランダ協会の人で、国際ユースホステル協会の創設者の一人でもあります。レオ・メイリンク氏は語ります。
「1932年以前には各国ユースホステル団体の間には訪問の交換はあったが、組織的な国際接触はまだできていなかった。1931年12月ドイツ、イングランド、スコットランド、オランダの各協会書記長はドイツのヒルヘンバッハにリヒャルト・シルマンを迎えて参集し、ここに国際会議の構想が生れた。
オランダ・ユースホステル協会が主唱者となって、全協会の書記長会議の招集に努力することになった。同協会の書記長H・L・J・ディーレン氏はベルギー(フランダース)、デンマーク、ノールウェー各ユースホステル協会の本部を訪問した。先のヒルヘンバッハの会議に加え、この訪問で代表者会議開催可能の見通しがついた」
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