■日独交流セミナーに参加して
第1章 序論
第2章 本論
第1節 交流のコツ
交流事業参加のきっかけ
交流事業の本質1
交流事業の本質2
通訳の問題
語学の問題
北海道カボチャ誤訳事件
ギンレイソウ誤解事件
日本愛妻家協会事件
地図が読めない女
ドイツ人を驚かせた事件
交流のコツみたいなもの
第2節 ドイツの現状
第3節 ドイツYHの現状
第4節 セミナーについて
第3章 結論
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交流事業参加のきっかけ
最初にお詫びしておかなければ、なりません。というのも私は外国語が全くできません。ですから日独青少年指導者交流セミナーに対する資格は無かったと思います。しかし、ユースホステルの生みの親であるリヒャルト・シルマン氏の伝記を出版したこともあって、日本ユースホステル協会の小俣事務局長から御誘いがあり、今回の交流事業に参加する機会を得ました。そして参加者の中でも最も多大な恩恵を受けることができました。
小俣事務局長・担当の水野国際部長・そして日本ユースホステル協会の随行員である波光氏には、並々ならぬ御尽力を賜りました。そして、このような機会を与えてくださいました文部科学省の御担当者、快く受け入れてくださいましたドイツユースホステル協会の関係者の皆様。そして通訳のヨーコさんには、心より感謝の言葉を述べたいと思います。
交流事業参加のきっかけは、私の場合、不純な動機がありました。ドイツに行って、リヒャルト・シルマンのドイツ語資料を入手したい。できたら、ドイツユースホステルの発祥の地であるアルテナ城や、ヒトラーユーゲントに吸収されるまでドイツユースホステル協会本部であったヒルヘンバッハを見学したいと思っていましたので、日本ユースホステル協会の水野国際部長に無理を言って、ドイツユースホステル協会本部に資料のコピーと見学コースの御願いを行いました。
アルテナ城やヒルヘンバッハの見学は拒否されたものの、資料のコピーだけは何とか頂くことができました。リヒャルト・シルマンのドイツ語資料の幾つかは、日本には現存しません。ですからコピーを日本に持ち帰る意味はとても大きいのです。
ドイツのユースホステル運動は、ワンデルンシューレ(移動教室)という青少年運動から始まっています。学校に図書館や体育館を作るように、宿泊施設も設置して小学校から小学校を徒歩で歩きながら教室を移動させつつ人間教育を行おうという運動が、元々のユースホステル運動です。
しかし、時代が変わってユースホステル運動は衰退しつつあります。ユースホステル運動の基本である青少年教育の色は薄まる一方です。リヒャルト・シルマンが理想とした、青少年教育の精神は、少しずつ現場から消えつつあります。ですから「リヒャルト・シルマンの精神」をドイツから持ち帰りたかった。そういう不純な動機が私にはありました。
しかし、その不純な動機で参加した私ですが、日独青少年指導者交流事業に参加してみて、ハンマーで頭を殴られたような衝撃をいくつも受けることになるとは夢にも思いませんでした。「井の中の蛙、大海を知らず」とはよく言ったものです。知識としてドイツのことを知っているつもりだった私も、実際に交流事業でドイツを体験することによって、あらためて「知識だけではダメだ」の思いを強くしました。と同時に日本とドイツの青少年運動の問題点の違いを見せつけられることになりました(これについては後述します)。
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