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金子智一先生
横山祐吉先生と、ともに日本ユースホステル協会をたちあげた中心的な存在です。金子智一は当初ユースホステル協会の実務の責任者的な役割を果たしながら、下中弥三郎先生の秘書役も続けていましたが、昭和二十八年には日本ユースホステル協会の専従になりました。
さらに金子智一先生は、インドネシア独立の功労者でスハルト大統領からインドネシアの最高功労勲章「ナラリア勲章」を授与されています。また、日本歩け歩け協会(現日本ウォーキング協会)会長にもなり、更には日本マーチングリーグを創立し会長を務めています。
金子智一先生と中山正男先生
戦前、金子智一先生は、評判になっていた戦記小説『脇坂部隊』を読んで感激し、長文の感想文をその作者中山正男先生に郵送しました。すると、中山正男先生から巻紙の墨黒々とした筆書きの返信が来て、西銀座の天ぷら屋「天国」で会いたいといます。この出会いが金子智一先生と中山正男先生のそれ以降の公私にわたる人生を決定づけることになります。会って十分もしないうちに中山は、
「おい、金子君、あしたからわが社へ来てくれたまえ」
と中山正男先生のぺースに巻き込まれ一緒に仕事をすることになったのです。
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