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子ども村
リヒャルト・シルマンのユースホステル運動の他に行った、もう一つの事業として、子ども村があります。
1925年ドイツ ユースホステル協会は、パデルボルンのスタウミュエルにある元軍属キャンプの無償明け渡しを申請して許可されました。兵舎25棟、ベッド数1000という巨大なものです。リヒャルト・シルマンは、そこをこども村にしたのです。そこでは、クラス全員が先生に連れられて、騒音にみちた都会を逃れ清々しい環境の下で一ヶ月間、しかも安く共同生活を楽しむことができます。
このこども村計画書に、シルマンはこう述べています。
「大都会は、太陽と新鮮な空気に飢えるあわれな子供を作り出してきました。陰うつなアパートや裏庭が大多数の子供たちのねぐらであり、遊び場です−かねがね、不用になった軍施設をユース・ホステルにしてはどうかと考えていたのですが、あの広大なスタウミュエルは、むしろこども村にした方が良いのではないかと思うようになりました−緑の木々、清い流れ、牧場、野原、砂地、丘、そして珍しい動物、美しい草花。この広大な敷地を眼前にした時、ある考えが私の頭にひらめいたのです。個々の子供たちだけに限らず、学校の生徒全員の休息地、レクリェーションの場としたい−ひとつの学校に限らず−プロテスタントであろうとカトリックでしょうと、すべての小学校、中学校に開放して、皆が仲よく一緒に生活するのです」
こども村には、プール、グラウンド、作業場等の設備が整えられて、まったく進歩的な教育方法が採られました。子供たちは、自らペンキを塗り、キャンプを整備しました。まず最初にシルマンのアピールに応えてきたのは、進取の気性に富むハーゲン市々長クーノであった。彼は、1000人の児童を一ヵ月間、キャンプに参加させました。つづいて他の市でも、シルマンのアピールに応えてきました。青白く元気のなかった子供たちが、五月から十月の間に赤く陽やけして帰ってきました。一日の経費わずか1.5マルク(約一シリング六ペニィ)!
この“村”の指導者オットー・レンメルトは、先生になるために生まれてきたような人でした。勿論、シルマンも、スタウミュエルに長く滞在し、大勢の子供たちと共に遊ぶかたわら未来の発展のため、いろいろプランを練りました。
「私はこんな空想をしていました。(彼の小冊子の結びで、シルマンは書いている)ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、ベルギー、イタリー、ポーランド、ロシア、アメリカ、そして全世界の軍用地がこども村や青空学校になって、兵士にかわって活発な子供たちが楽しげに走りまわります。そして、全世界の人びとの上に平和が訪れるのです」
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