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リヒャルト・シルマン先生 ドイツの名もない一人の小学校教師が、ユースホステルを提唱し、世界中にそのネットワークを広げる基礎を作りあげたことは、あまり知られていません。
リヒャルト・シルマン先生。
一九〇九年にユースホステル運動を提唱してから、一代にして世界中に、この運動を広げた人ですが、彼の生きた時代は、激動そのものでした。
まず、第一次大戦。 ユースホステル運動は中断し、多くの人々の命が奪われました。 そして敗戦。狂乱インフレ。全ての財産が一夜にして消滅。 その後の国家社会主義者(ナチス)による追放。 そして、第二次大戦と敗戦。
爆撃と戦闘でドイツは焦土となり世界から孤立。 ドイツユースホステル協会の国際ユースホステル連盟への復帰は却下され続けました。
しかし、そういう絶望的な状況下からもリヒャルト・シルマンは、何度も何度も不死鳥のようによみがえり、再起し、コツコツと世界中にユースホステルのネットワークを作りあげていきました。
リヒャルト・シルマン。
彼は、英雄でもなければ、天才でもありません。学校を中退したために学歴もなく、これといった才能もない平凡な小学校教師でした。それもドイツ語しか話せない田舎の貧乏教師でした。
その平凡な教師が、世界中にユースホステル運動を広めたと言ったら、あなたは信じますか? 外国語を話せなかった人間が、世界にまたがるユースホステル運動を、たった一代で展開していった人がいると言ったら、あなたは信じますか?
現代では、国際交流に語学は必要であると言われています。ですから国際交流をしたいと希望する人は、大学の外国語学科などに進学し英会話学校に通ったりします。
しかし外国語が話せなかったリヒャルト・シルマンくらい、国際交流のために働いた人はいませんでした。では、語学能力も学歴もなかったリヒャルト・シルマンは、どうやって世界中の人々と交流していったのでしょうか?
リヒャルト・シルマン伝・第1章
プロイセン王国(プロシア王国)より
シルマンについて シルマンの偉大さは、ただひとつの目的−ユース・ホステルの設立−ひと筋に彼の心血を注いできたことにある。またその情熱を他の人びとに感染させる能力にある。
開拓者というものは、応々にして自己の努力の結晶、その実りをみることはできないものである。しかし、シルマンは、例外であった。彼が逝った時、ユース・ホステル運動は、すでに世界の全大陸に拡がっていた。一人の人間の構想と決意が、はっきり眼にみえる記念碑となって。(略)
リヒァルト・シルマン ユース・ホステルの祖父 グレアム・ヒースより抜粋
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