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ウィルヘルム・ミュンカー
ユースホステル運動を着想したのは、間違いなくシルマンです。しかし、シルマンだけでは、この運動が世界的な運動にはなりませんでした。ウィルヘルム・ミュンカー(Wilhelm
Munker)がいなければ、成功はなかったでしょう。
確かに、エドムント・ノイエンドルフ博士の功績は大きかったし、彼のコネクションがあればこそ、組織は巨大になりました。そして、心優しいアルテナ・ネッテ民衆学校の管理人ベッカー夫妻の協力がなければ、シルマンの提案は職員会議で却下されていたでしょう。
そういう意味では、誰が欠けてもシルマンのユースホステル運動は、成功してなかったのかもしれません。けれど、シルマンとミュンカーの関係は特別でした。
二人は、運命の糸で結ばれた親友、いや戦友であり、この二人の合体は、ユースホステル運動の歴史を変えてしまうくらいの力をもっていました。シルマンは、ミュンカーと出会うことによって生かされたのであり、ミュンカーはシルマンを支えることで生命をもらったとも言えます。
例えて言うならば、桃園の誓いを行った劉備・関羽・張飛。あるいは、孔明を迎えて共に闘った劉備たちなのかもしれません。シルマンは、ミュンカーと出会って戦力を十倍にし、ミュンカーはシルマンの志に感銘して自らの進む道を発見し、シルマンの理想に生涯を捧げたのです。
リヒャルト・シルマンと、ウィルヘルム・ミュンカー。
この二人の運命的な出会いによって、ユースホステル運動は世界規模の運動になります。ユースホステル運動は、提唱者シルマンと、事務局長ミュンカーの二人が、互いに放電を繰り返さないと今日のユースホステル運動は成立しませんでした。
どんなに素晴らしい理念も、それを実現するための行動力がないと、物事は先にすすみません。シルマンは、素晴らしい理想を社会に提案しましたが、提案するだけでは、ユースホステル運動は大きくなりませんでした。
世の中、理想と情熱だけで物事が進むほど世の中は甘くありません。ウィルヘルム・ミュンカーの才覚と行動力が無ければ、ユースホステル運動が巨大化して世界中に広まることは、ありえませんでした。
例えば、ミュンカーは第一次大戦の時に兵隊にとられましたが、彼は戦場の中でユースホステル運動を行っていました。とても不自由な軍隊活動の最中に、しかも他国との戦闘中に、「手紙」という、ただそれだけの手段によって、全ドイツのユースホステル運動をまとめていきました。これは奇跡に近いことです。
シルマン伝 第13章ウィルヘルム・ミュンカーより
ミュンカーについてブルクハルト・ショムブルク教授は、次のように評している。
「ウィルヘルム・、ミュンカーは、一つの理想を追ってこれに全生命を対決させた。彼は文字通りの理想主義者であった。しかし同時に現実の生活を知っていた。だから理想が現実の土地の上から足をさらわれて浮き上がる事がなかった。一度不運に見舞われても、彼は必ずこれを克服して成熟していった。理想の飛躍と生活の現実の間の厳しい相剋の谷間に、彼は創造的な橋をかける力をもっていたのである。ここに、ミュンカーの本質があり成功があったのである」
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