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ユースホステルの誕生について
■8月26日(土)「シルマンデー」
1909年8月26日、ドイツの民衆学校(小学校)教師、リヒャルト・シルマンは、子供たちを連れて徒歩旅行を行っていた。その時、ブルール渓谷で一夜雷雨に襲われた。農家では宿泊を断られてピンチとなった。
緊急避難として村の小学校の一室を借りて夜を過ごした。そして眠っている子供たちを見守りながら、彼は考えた。
「ドイツ中の学校が、休みの間宿舎として教室を提供すれば、学校の利用価値が高まる。そして更に、村々に気持ちのよいユース・ホステルを造り、青少年たちを暖かく迎えることができたら」
シルマンは、『若者の旅−民衆学校(小学校)のホステル』に、次のように書いている。
「それはちょうどブレール渓谷でだれもいない学校の前を通り過ぎた時のことでした。わたしの胸に新しい考えがひらめいたのです。町にも、ほとんどどの村にも小学校があります。その休暇中のあいた教室は、学生旅行団のための寝室や食堂に変えられるのを待っているようなものだということです」
1906年、シルマンは青年実業家ウイルヘルム・ミュンカーと知りあい生涯にわたる交友を結びました。1912年、ザウアーラント山岳クラブの一部門としてユースホステル委員会が設立された時委員長をシルマン氏として、ミュンカーはユースホステルの事務所用にヒルヘンバッハの町に在る彼の家屋敷を提供しました。その後21年間彼はこの運動の機構作りに専念しました。そのお陰でシルマンは自由にユースホステル理念の普及運動に国中をめぐって働けたのです。
一方南ドイツにおいては1913年に有名なドイツ・オーストリア・アルペンクラブから一つの派ができて、信頼できる人の先導のもとに青少年のグループにアルプス旅行を促進させることをその目的としました。そしてこの派は青少年アルプス旅行ミュンヘン地区委員会として知られていますが、のちにドイツ・ユースホステル協会のバイエルン地区グループの活動の基礎を築いたのです。
しかし、第一次世界大戦がおこり、リヒャルト・シルマンも、ウィルヘルム・ミュンカーも兵隊にとられてしまったのです。
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