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世界大戦と戦後
第二次世界大戦は、ユースホステル運動を停止させ、多くのユースホステルは閉鎖され、あるいはナチスにより強制的にその青年組織に合併されました。ただ南フランス(非占領地域)には、どんな運動も自由に発展しました。ここでは活発な組織であるフランス青年宿泊所が、政府の支援の下にアルプス、オーベルニュその他地域にユースホステル網を作り上げました。ドイツ国内においても戦争の急迫はユースホステルを次々に病院や疎開収容所にかえていき徒歩旅行運動の最後のこん跡も消えてしまったのです。
英国においては、第二次世界大戦にもかかわらず、ユースホステル運動は発展をつづけました。兵器工場や、爆撃を受けた都市の多数の青年労働者に対し、ユースホステルは娯楽と休養の殆んど唯一機会を与えるものでした。英国政府はユースホステルの建物を大規模に占有しようとする軍及び病院の意向を抑制しました。イングランド及びウェールズにおいては会員は1939年の83000名から1944年の133000名に増加しています。
大戦後、ユースホステルの復興は早く、1947年には戦前ユースホステルがあったヨーロッパ諸国にはすでに500以上のホステルができていました。そしてこれらのホステルでは外国の旅行者が17万以上の宿泊数を記録しました。
シルマンとミュンカーは、戦後はじめて開催された国際ユースホステル会議(スコットランド)に出席されました。70を越した二人のベテランが会議場に姿をあらわし、昔の同志を前に挨拶すると、恩讐を超えて温かく迎え入れられました。ちなみにシルマンとミュンカーは、戦後ブリテンに足を踏みいれた最初のドイツ市民でした。
国際奉仕団が作られて、彼らはいくつかのホステルの再建を手伝いました。ドイツにおいてシルマンとミュンカーは再建の仕事を始めるために退職を取り消しドイツユースホステル協会は公式に1949年10月に再建されました。その結果、ヨーロッパ全体のホステル数にさらに約500のホステルが付け加えられたのです。
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