日本ユースホステル協会誕生秘話

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日本ユースホステル協会誕生秘話

 戦前から青少年運動に従事していた横山祐吉氏は1951年に渡米した際、アメリカでユース・ホステル運動を知り、帰国後友人の中山正男氏に話し賛同を得て、仲間達と運動発足の為の準備が始められました。

 こうして、この年の10月16日に創立総会が行われ、会長に下中弥三郎氏を迎え、学生の間で熱心であったワンダーフォーゲルの人達が参加しました。11月には山中湖畔で第1回のホステリングを実施しました。この時、ワンゲル部員ら60名余りと、地元の中学生とで富士吉田から河口湖、山中湖をサイクリングし、清渓寮で1泊。全員でキャンプフアイヤーを囲んでJYHの発足を祝しました。

 創立当時の会長は下中弥三郎、副会長は中山正男、専務理事は横山祐吉の各氏でした。ホステルは日本青会館、浴恩館、清渓寮、YMCA東山荘など13カ所が契約されました。登録料は青少年200円、成人300円でした。

 1954年8月ザールランドで開かれた第15回国際ユース・ホステル連盟総会で日本は準会員として承認され、1955年1月から世界共通の会員証を発行できるようになりました。 ユース・ホステルの普及をはかるために協会はさまざまな活動を行ったたがその中でも特徴あるものは北海道ホステリングをはじめとして、九州、四国、山陰へとホステリングを実施したことでした。各地をめぐることによってホステラーが見聞を広めただけでなく、その地方の青年たちにも刺激を与えました。また1955年からはホステル経営者講習会、指導者講習会を開催して普及啓蒙に努めました。

 1956年にはユース・ホステル協会が文部省所管の財団法人として認可されました。また最初のユース・ホステル・ハンドブックが発行されました。(ホステル数 96) 8月のIYHF総会で日本YH協会は正式加盟を承認されました。

誓いの言葉

− 昭和29年10月30日制定 −
私たちは、簡素な旅行により、未知の世界をたずね、見聞をひろめよう。
私たちは、規律を守り、良い習慣を身につけよう。
私たちは、共に助けあい、祖国の繁栄に、努めよう。
私たちは、国際人としての教養を高め、明るい世界を、建設しよう。

 この誓いの言葉は、ユースホステル運動の主旨を要約したものですが、昭和29年の世相を反映し、当時のユースホステルの熱意を感じる言葉でもあります。


テレビドラマ

 1966年(昭和41年4月5日から1年間。毎週火曜日夜8時から1時間)森繁久弥主演のNHKドラマ 「太陽の丘」が放送されました。伊豆にある八代ユースホステル(実際にはない)を舞台に、ペアレント一家と、そこを訪れるホステラーとの交流が描かれ、ユースホステル運動が、全国のお茶の間に紹介されました。残念なことに「太陽の丘」のビデオは、残っていないようです。

切手に

 国際ユースホステル連盟( IYHF )の総会が、日本で2度開催されていますが、その記念の郵便切手が発行されています。1968年(昭和43年)ヨーロッパ以外では開催されたことの無かった、国際ユース・ラリー・ IYHF会議が、東京で8月6日から19日にかけて開催され、これを記念して、15円切手が1800万枚発行されました。2回目は1990年(平成2年)6月25日から7月2日にかけて、新潟県 六日町、柏崎市で開催され、これを記念して62円切手が2100万枚発行されました。
 リヒャルト・シルマンに関する質問ならびにユースホステル運動史に関する詳しい質問に関しては、電話での問い合わせは、宿泊業務に支障をきたしますので御遠慮ください。当方は、宿業を営んでいますので、急に御連絡をいただいても、対応しきれるものではありません。日本ユースホステル協会の方に御連絡をお願いいたします。


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