第一次世界大戦とインフレ

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第一次世界大戦とインフレ

 大戦の終わった年(1919年)ドイツ・ユースホステル協会はミュンカーを名誉書記長とし、シルマンを会長として正式に結成されました。まもなく大きな県には地区グループが形成され、ホステル管理に関しては相当の自主性が与えられました。

 しかしミュンカー氏は国内の全てのユースホステルを通してその規則と料金は同じてなければならないと強調しました。それはこれが地域運動ではなく国家の運動の一つであるからです。それとまったく同じ理由から政治的あるいは宗教的な組織によって個々のユースホステル網がつくられて、ユースホステル協会が管理されることに反対して、彼はあくまでも戦ったのです。

 協会は多量の旧軍用物資(寝台、マットなど)を購入することができインフレーション(1923年)による経済危機にもかかわらず運動は急速に発展しました。資金的援助は県や市、実業家からとくに最後にはドイツ政府からも与えられたのです。

 ユースホステルの数は1921年の1、300から1931年の2、100に増加し一方その期間に宿泊数は50万から430万に増加しました。簡素にありたいというシルマンの当初の願いに反して、ユースホステルの大きさと快適さは着実に増し、数百人の客を泊めるための立派な宿舎を建てるために多額の費用を費す県も多くなりました。

 しかし運動の一般的原則は変わらずに維持され、20才以下の青少年の宿泊が優先され、このためのパス(宿泊証)が非常に低額で発行されました。年長の人には会員証を与え、空(す)いている場合だけホステル利用を許し、またこの運動の事業方針を決定する会議における投票資格を与えました。
 リヒャルト・シルマンに関する質問ならびにユースホステル運動史に関する詳しい質問に関しては、電話での問い合わせは、宿泊業務に支障をきたしますので御遠慮ください。当方は、宿業を営んでいますので、急に御連絡をいただいても、対応しきれるものではありません。日本ユースホステル協会の方に御連絡をお願いいたします。


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