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横山祐吉先生
明治神宮の造営は、第一次世界大戦が始まり、その影響で物価・賃金が急騰し、造営予算に支障をきたしました。造営局造営課長であった田沢義鋪の発案で全国各地の青年団が上京し、労力奉仕で造営に協力しました。
大正9年11月、皇太子殿下より造営に対する青年団の功績に対して令旨を下賜されました。令旨の拝受を記念するために日本青年館建設の議がおこり、翌年9月、財団法人日本青年館が設立されました。
全国の青年団は各種運動を繰り広げて、一人一円の建設資金を拠出しました。関東大震災のため工事は遅れましたが、大正13年9月総工費162万円をかけて地上4階地下1階建ての旧日本青年館が完成しました。 概要は約500名収容可能の宿泊施設のほか、2000名収容の講堂、図書室、新聞雑誌縦覧室、資料陳列室、談話室等を備えたものでした。
建設の経緯からもわかるとおり、全国の青年団関係者にとっては80年以上にわたる青年団運動の総本山として位置づけられる重要な施設です。特に終戦前後の青年団全国組織の空白期には、日本青年館が全国の青年団を結ぶ役割を果たすなど、施設面だけでなく、青年団を助長する財団としての活動も重要です。
その日本青年館の事務局長であった横山祐吉は、1951年2月にアメリカ教育視察団の一員として渡米した際、米国ユースホステル協会会長に会い、ユースホステルに関する知識を得て帰国しました。横山は友人の中山正男(東光石油社長)や下中弥三郎(平凡者社長)および学生ワンダーフォーゲル関係者と図り、1951年10月に日本ユースホステル協会を発足させました。設立記念の第1回ホステリングを山中湖畔で行い、日本のユースホステル運動のスタートを切ったのです。
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