小田実・何でもみてやろう

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小田実・何でもみてやろう

 小田実を一躍有名にした本で、当時ものすごいベストセラーとして、多くの人が先を競ってしゃぶりついて読みました。小田実も竹村健一同様、フルブライトの留学生ののち、欧州へ渡っています。竹村健一に遅れること5年後の1959(昭34年)のことです。

 アメリカからヨーロッパへ渡る時に、小田が持っていた金は200ドル(当時のレートで約7万円)。これにオスロから東京間のエアーチケットをもっています。200ドルのうちの100ドルは友人からまきあげた金です。その時の条件が、帰国後に本を書き、それがベストセラーになったら、借金を返すというものでした。小田は1日1ドルで旅行しようと決心しました。

 泊まるのは1泊100円相当のユースホステル、スポーツマンクラブ、スチューデントセンターに泊まることにしました。食べるのは街路の立ち食い、もしくはパンと牛乳ですませます。こうすれば、1日1ドルでなんとかやっていけるでしょう。小田はヨーロッパ各地のユースホステルを泊まり、本文中でもユースホステルのお国ぶりについてもこう書いています。

「アムステルダムのユースホステルは、ヨーロッパで、おそらく世界でもっとも厳格なホステルであった。朝7時半には起こされ、8時半ごろには外へ追い出される。これは雨が降ろうが風が吹こうとそうなのであって、午後5時ごろまではホステルの門は閉じている。1日ぐらい休養にあてたいと思ってもそうはゆかない。くたびれはてながら、あてもなく街をぶらついたこともある。このホステルとまったくよい対照をなしたのが、ベルギーのブリュッセルのホステルであった。汚くて、ルーズで、ノンシャランで、いかにもフランス語の通じた国へ来たという感じであった。ユースホステルを見ただけで、イギリス、北欧、中欧、南欧の差は極端に出てくる。
イギリスは親切だが、ぶっていて厳格、清潔。
北欧は清潔、そして親切。
中欧は厳格、杓子定規、清潔。
フランスから南欧にかけてはルーズ、不潔、自由放縦。」

 小田実の『何でも見てやろう』は、若者をヨーロッパにかり立てました。1964(昭39)年に海外旅行が自由化され、一人1回500ドルまで自由に持ち出すことができるようになりました。

(日本ユースホステル運動40年史より)
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