■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000
☆国際化、情報化、環境問題へ
☆1991年(平成3)
☆1992年(平成4)
☆1993年(平成5)
☆1994年(平成6)
☆1995年(平成7)
☆1996年(平成8)
☆1997年(平成9)
☆1998年(平成10)
☆1999年(平成11)
☆2000年(平成12)
☆2001年(平成13)
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2000年(平成12)
■森会長が内閣総理大臣に就任
2000年期の始まりです。中国のように、国によってはこの年から21世紀に入ったと宣言するところもありました。また、コンピュータの「2000年問題」で、海外旅行などを控えるむきも多く、1000年に一度の大イベントは、国により不発に終わりました。
国内は依然として不況が継続され、2月には長銀が破産状態に陥り、約7兆円の資金が投入されました。3月には有珠山が噴火しています。
そうした中、9月のシドニー・オリンピックでは、女子陸上競技で始めての金メダルが
、マラソンの高橋尚子によってもたらされました。
小渕首相の跡を継ぐ形で4月5日に自民党幹事長の要職にあった森会長が内閣総理大臣に急遽就任しました。全国のYH関係者にとっては名誉なことでしたが、YHの歴史の中には、こうした事例は皆無でした。そのため今後の対応について官邸に指示を仰いだ結果、従来の慣例に沿って森会長が「総理大臣在任中は、会長の業務に関与しないこと、この間の業務は柳川副会長に委任する」との措置が取られ、急遽代行制が敷かれました。
■YH50周年記念事業の準備を開始
2000年期、JYH最初の仕事は、翌年に控えた「YH50周年記念事業」の企画内容を決定することから始まっています。まず、2000年(平成12)1月に「50周年記念事業委員会」の準備会が開かれ、委員長に伊藤俊夫常任理事を選出し、全体スローガンを「次に来る旅人のために」と決定しました。次いで4月に年史部会、式典部会、事業部会、財政部会が設置され活動を開始しました。
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