■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000
☆国際化、情報化、環境問題へ
☆1991年(平成3)
☆1992年(平成4)
☆1993年(平成5)
☆1994年(平成6)
☆1995年(平成7)
☆1996年(平成8)
☆1997年(平成9)
☆1998年(平成10)
☆1999年(平成11)
☆2000年(平成12)
☆2001年(平成13)
|
1994年(平成6)
■本部事務局が水道橋に移転
アメリカ経済が復興に転じヨーロッパでは、5月にユーロトンネルが開通し大陸と一体化した。一方、ベルリンからロシア軍の撤退後、チェチェン紛争が勃発しました。
国内では、政治の混乱は続いて、小選挙区制が可決される一方、4月には細川内閣が辞任し、少数与党の羽田内閣が発足しています。しかしこれも長続きせず、6月には自社さ連立の村山内閣が成立し、目まぐるしく政権が変わりました。
5月にJYHの事務局が水道橋西口会館に移転し、日本歩け歩け協会(現日本ウォーキング協会)、日本レクリエーション協会などの友好団体と一緒の建物内に事務局を置くことになりました。7月には、この三者が「合同の事務所開き」を飯田橋エドモンド・ホテルで行い、三笠宮寛仁親王殿下の出席を仰ぎました。
■lBN予約窓口を拡大
1993年(平成5)から開始されたIBN予約は、世界中から歓迎されました。IYHFも試験的な段階を離れて、世界中に受付場所と予約可能なゲートウエーYHを拡大しています。 JYHもこの一環として、既存の京都YH協会、代々木YHに加え、JYHと東京都YH協会を始め、愛知県YH協会、大阪YH協会などに窓口を広げ、ほぼ全国の大都市で予約が可能になりました。予約料は、1件(宿泊数、人数などに関係なく)550円と決められました。
■IYHF環境憲章を採択
7月、オーストリアで開催された第40回国際YH会議において「IYHF環境憲章」が採択されました。特に面積の小さな国が林立するヨーロッパにおいては、環境保護と公害防止に熱心で、その意思が国際目標として取り上げられたことは、画期的なできごとでした。
■ペアレントからマネージャーに呼称変更
この年から世界中で親しまれてきたペアレントやウオーデンといった呼称に変わって、YHの管理者を「マネージャー」と呼ぶことになりました。イギリス、オーストラリア、アメリカなどが採用し、こうした国際的な動向とペアレントの持つ総合的役割を加味しての呼称変更でした。これには日本のYH関係者に一抹の戸惑いがありましたので、当分の間の措置としてマネージャーとペアレントの呼称を併用することとしました。
|