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出版の経緯5
■日本ユースホステル協会・推薦文
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元嬬恋郷土資料館館長・松島先生
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中富良野 歩゚風里
『風のたより』
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第1章 プロイセン王国 その1ドイツの名もない一人の小学校教師が、ユースホステルを提唱し、世界中にそのネットワークを広げる基礎を作りあげたことは、あまり知られていません。リヒャルト・シルマン先生。一九〇九年にユースホステル運動を提唱してから、一代にして世界中に、この運動を広げた人ですが、彼の生きた時代は激動そのものでした。
まず、第一次大戦。ユースホステル運動は中断し、多くの人々の命が奪われました。 そして敗戦。狂乱インフレ。全ての財産が一夜にして消滅。 その後の国家社会主義者(ナチス)による追放。 そして、第二次大戦と敗戦。 爆撃と戦闘でドイツは焦土となり世界から孤立。 ドイツユースホステル協会の国際ユースホステル連盟への復帰は却下され続けました。 しかし、そういう絶望的な状況下からもリヒャルト・シルマンは、何度も何度も不死鳥のようによみがえり、再起し、コツコツと世界中にユースホステルのネットワークを作りあげていきました。
リヒャルト・シルマン。
彼は、英雄でもなければ、天才でもありません。学校を中退したために学歴もなく、これといった才能もない平凡な小学校教師でした。それもドイツ語しか話せない田舎の貧乏教師でした。その平凡な教師が、世界中にユースホステル運動を広めたと言ったら、あなたは信じますか? 外国語を話せなかった人間が、世界にまたがるユースホステル運動を、たった一代で展開していった人がいると言ったら、あなたは信じますか?
現代では、国際交流に語学は必要であると言われています。ですから国際交流をしたいと希望する人は、大学の外国語学科などに進学し英会話学校に通ったりします。しかし外国語が話せなかったリヒャルト・シルマンくらい、国際交流のために働いた人はいませんでした。では、語学能力も学歴もなかったリヒャルト・シルマンは、どうやって世界中の人々と交流していったのでしょうか?
しかし、それにふれる前に、少しばかりの寄り道をお許し下さい。リヒャルト・シルマン先生について語るには、リヒャルト・シルマン先生の生まれた国、ドイツを統一したプロイセン王国についてふれる必要があるからです。
■ユースホステルとは?
ユースホステルとは、ドイツで生まれた旅の宿のネットワークです。だれもが安全に楽しく、そして経済的に旅ができるようにと考えられたもので、現在、世界80カ国、5500のユースホステルがあります。日本には北海道から沖縄まで約300のユースホステルがあり、宿泊料金は日本の場合、1泊3000円から4500円と大変経済的です。日本でのユースホステル会員数は、最も多かった1970年代には60万人以上にものぼったと思われますが、1980年代以降は減少傾向にあり、2005年現在では最盛期の7分の1程度の約8万5000人です。
世界最初のユースホステルもドイツのアルテナにある古城の一角に設けられました。部屋は、男女別の相部屋で、1部屋が4人〜8人ぐらい、2段ベッドの洋室(日本では畳部屋もあり)が基本となっております。海外のユースホステルでは、スウェーデンの帆船ユースホステル、ドイツの古城ユースホステル、カナダの元刑務所ユースホステル,ニュージーランドの広大な芝生の庭に囲まれた邸宅ユースホステルなどいろいろ。料金は安くても、食事やサービスは十分満足できるもので、経済的で、泊まり合わせた人同士が気軽にふれあえる旅の宿です。
ユースホステルを利用するには、会員証を入手すると便利です。宿泊費が600円ほど安くなります。各都道府県にあるユースホステル協会または最寄りのユースホステル案内所、全国のユースホステルにて、簡単な手続きで会員証が取得できます。この会員証は世界共通で、日本で取得すればどこ国のユースホステルでも有効です。また、会員証によって国内・海外の観光施設等の割引を受けられるなどの特典もあります。
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