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■日本ユースホステル協会・推薦文
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元嬬恋郷土資料館館長・松島先生
群馬県ユースホステル協会
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中富良野 歩゚風里
『風のたより』
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第2章 学校 その3
ちなみにドイツにキリスト教がやってきた時、聖書はドイツ語ではなく、ヘブライ語であり、ギリシャ語でした。翻訳は禁止されていました。また、神学・哲学などの多くの学問は、ラテン語でないと勉強できませんでした。
それでもドイツ地方では、神の庭と言われるほどキリスト教の信仰のあつい地域となりました。そうなると神学を学ぼうという人々が増え、組合を作って一緒に学び始めました。その組合が、大学という組織になるのですが、それはさておき、神学を学ぼうという人々は、神学の知識を求めて旅に出ました。
人々は彼らを遍歴学生とよびました。
遍歴学生たちは、背中に大きなバスケットをザックのように背負い、生活道具と勉強道具を詰め込んで、諸国の先生を訪ね歩きました。何人かの集団をつくって、都市から都市へと遍歴しながら、大学を次々と渡り歩いていました。町の人々は、神様のことを勉強している学生さんたちを大切にしました。遍歴学生に施しをし、 「俺のために神に祈ってくれ」 とたのみました。ヘブライ語も、ギリシャ語も、ラテン語もできない村人にとっては、神に近づく唯一の手段でした。村で神童が生まれますと、村中で寄進しあって遍歴学生として送り出し 「もし司祭になったら神に祈ってくれ」 と村人たちは、一人の神童に期待したものでした。
そして宗教改革。一五三二年に聖書はルターによってドイツ語に翻訳され、プロイセンの農村でもドイツ語聖書によって学べるようになりました。一七一七年、プロイセン王(別名兵隊王)フリードリヒ・ヴィルヘルム一世は、農村の教育状態を調査させました。その結果、両親たちが、子供を通学させることを怠っていることと、貧しい児童たちがキリスト教に対して無知なまま育っていることに激怒しました。プロイセン王は、次のような勅令を発しました。
「両親は、週あたり六ペニヒ(一マルク=百ペニヒ)の授業料で、冬季は毎日、夏季は両親がその仕事に子を必要とする場合には少なくとも週のうち一日か二日、冬季に学んだことをすっかり忘れさせぬよう、通学させるものとする。これに違反する者は厳罰に処する。両親が経済的に充分な余裕がない場合、六ペニヒを救貧金庫より支出されるべきものとする」
■ユースホステルとは?
ユースホステルとは、ドイツで生まれた旅の宿のネットワークです。だれもが安全に楽しく、そして経済的に旅ができるようにと考えられたもので、現在、世界80カ国、5500のユースホステルがあります。日本には北海道から沖縄まで約300のユースホステルがあり、宿泊料金は日本の場合、1泊3000円から4500円と大変経済的です。日本でのユースホステル会員数は、最も多かった1970年代には60万人以上にものぼったと思われますが、1980年代以降は減少傾向にあり、2005年現在では最盛期の7分の1程度の約8万5000人です。
世界最初のユースホステルもドイツのアルテナにある古城の一角に設けられました。部屋は、男女別の相部屋で、1部屋が4人〜8人ぐらい、2段ベッドの洋室(日本では畳部屋もあり)が基本となっております。海外のユースホステルでは、スウェーデンの帆船ユースホステル、ドイツの古城ユースホステル、カナダの元刑務所ユースホステル,ニュージーランドの広大な芝生の庭に囲まれた邸宅ユースホステルなどいろいろ。料金は安くても、食事やサービスは十分満足できるもので、経済的で、泊まり合わせた人同士が気軽にふれあえる旅の宿です。
ユースホステルを利用するには、会員証を入手すると便利です。宿泊費が600円ほど安くなります。各都道府県にあるユースホステル協会または最寄りのユースホステル案内所、全国のユースホステルにて、簡単な手続きで会員証が取得できます。この会員証は世界共通で、日本で取得すればどこ国のユースホステルでも有効です。また、会員証によって国内・海外の観光施設等の割引を受けられるなどの特典もあります。
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