第1章 プロイセン王国 その3

■リヒャルト・シルマン伝の紹介
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■日本ユースホステル協会・推薦文
■群馬県ユースホステル教会・推薦文
■購入方法

第1章 プロイセン王国 その3

 プロイセンのルール(規律)好き。これは、ヨーロッパでは伝説的な話です。ルールさえ守れば、良心の自由が得られるのであれば、喜んでプロイセンのルールに従いましょうと。これがイギリスやフランス、または南ドイツのバイエルンだとしたら、プロイセンほどルールや規律を重んじなくても社会としては、何ら問題はなかったでしょう。何故ならば、それらの国々には、長く続いた歴史と伝統があり、その文化と伝統と慣習に従って生きていけば問題ないのであり、あえてルールをありがたがらずとも問題はなかったかもしれません。

 しかし、そういう地域では、マイノリティ(少数派)にとっては、多数派の文化に肩身を狭くして生きていく他なかったでしょう。しかしプロイセンでは違っていました。フリードリヒ大王は、どんなマイノリティも歓迎し、彼らに「自由」を与えました。どんな文化・宗教・人種でも、プロイセンの定める最低限のルールを守りさえすれば、自由に生きていけるのがプロイセンの特徴でした。

 ですからプロイセンに征服された住民は、プロイセンの政治をいたく気に入りました。文化も、宗教も、教育も、言論も、以前より自由になりました。それゆえ征服された住民たちは、前の君主よりも、プロイセンに忠誠を誓いました。

 プロイセンは、ナショナリズムとは対極にある国でした。それどころかプロイセンは、しばし、ドイツナショナリズムを弾圧する側にまわりました。後にドイツナショナリズムを利用して、ドイツ統一したビスマルクでさえも、最初はナショナリズムを無視していました。



■ユースホステルとは?

 ユースホステルとは、ドイツで生まれた旅の宿のネットワークです。だれもが安全に楽しく、そして経済的に旅ができるようにと考えられたもので、現在、世界80カ国、5500のユースホステルがあります。日本には北海道から沖縄まで約300のユースホステルがあり、宿泊料金は日本の場合、1泊3000円から4500円と大変経済的です。日本でのユースホステル会員数は、最も多かった1970年代には60万人以上にものぼったと思われますが、1980年代以降は減少傾向にあり、2005年現在では最盛期の7分の1程度の約8万5000人です。

 世界最初のユースホステルもドイツのアルテナにある古城の一角に設けられました。部屋は、男女別の相部屋で、1部屋が4人〜8人ぐらい、2段ベッドの洋室(日本では畳部屋もあり)が基本となっております。海外のユースホステルでは、スウェーデンの帆船ユースホステル、ドイツの古城ユースホステル、カナダの元刑務所ユースホステル,ニュージーランドの広大な芝生の庭に囲まれた邸宅ユースホステルなどいろいろ。料金は安くても、食事やサービスは十分満足できるもので、経済的で、泊まり合わせた人同士が気軽にふれあえる旅の宿です。

 ユースホステルを利用するには、会員証を入手すると便利です。宿泊費が600円ほど安くなります。各都道府県にあるユースホステル協会または最寄りのユースホステル案内所、全国のユースホステルにて、簡単な手続きで会員証が取得できます。この会員証は世界共通で、日本で取得すればどこ国のユースホステルでも有効です。また、会員証によって国内・海外の観光施設等の割引を受けられるなどの特典もあります。


 リヒャルト・シルマンに関する質問ならびにユースホステル運動史に関する詳しい質問に関しては、電話での問い合わせは、宿泊業務に支障をきたしますので御遠慮ください。当方は、宿業を営んでいますので、急に御連絡をいただいても、対応しきれるものではありません。日本ユースホステル協会の方に御連絡をお願いいたします。


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