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出版の経緯4
出版の経緯5
■日本ユースホステル協会・推薦文
■群馬県ユースホステル教会・推薦文
■購入方法
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第1章 プロイセン王国 その5
そのプロイセンに滅亡の危機が訪れました。ナポレオンによるドイツ侵略。そして、そのために勃興したドイツナショナリズムのためです。ビスマルクは、最初、プロイセン的でないドイツナショナリズムを小馬鹿にしていましたが、オーストリアと対抗するためにドイツナショナリズムを利用し、ドイツを統一したのもビスマルクでした。
セバスチャン・ハフナー氏によれば、ビスマルクがドイツ帝国を作ることに成功した時、プロイセンは滅びたと言います。代々プロイセンに忠誠を誓ったポーランドの貴族たちは、「ポーランド人は、簡単にプロイセン人になれたけれど、ドイツ人になることはできなかった」と嘆いたそうです。
それは、ともかくとして 「ルールは人を縛るもの」ではなく、 「ルールは人を自由にするもの」 ということは、プロイセンにおいては常識でありました。
そしてヨーロッパ人にとっての「自由」とは、「良心の自由」であって、この良心の自由のためならどんな犠牲も厭わないのが彼らの信条でしたから、人々は自由を求めて、プロイセンという国家に義務を果たしました。そこにヨーロッパ最強国家プロイセンの秘密がありました。
一代で世界中にユースホステル運動を広めたリヒャルト・シルマンは、ドイツの東プロイセンに生まれていますが、シルマンがその地の生まれでなければ、ユースホステル運動は存在してなかったかもしれません。ユースホステル運動は、東プロイセン出身のリヒャルト・シルマンの、プロイセン的な頑固さと、プロイセン的な陽気さ、プロイセン的なルール好きと、プロイセン的な国際性をもって作られています。ですからユースホステル運動は最初から、人種・宗教・民族の差別を禁止しています。
それゆえにヒトラーの国家社会主義者(ナチス)に、にらまれ迫害され、全てを失うはめになるのですが、逆に、国家社会主義者からの迫害は、ユースホステル運動にとっては一つの勲章でもあります。ですから第二次大戦後、ドイツ人で初めて海外旅行を許されたのは、リヒャルト・シルマン先生でした。ナチスの蛮行に怒れる人々も、シルマン先生には温かい手をさしのべました。その小学校教師、リヒャルト・シルマンとは、いったい何者なのでしょうか?
■ユースホステルとは?
ユースホステルとは、ドイツで生まれた旅の宿のネットワークです。だれもが安全に楽しく、そして経済的に旅ができるようにと考えられたもので、現在、世界80カ国、5500のユースホステルがあります。日本には北海道から沖縄まで約300のユースホステルがあり、宿泊料金は日本の場合、1泊3000円から4500円と大変経済的です。日本でのユースホステル会員数は、最も多かった1970年代には60万人以上にものぼったと思われますが、1980年代以降は減少傾向にあり、2005年現在では最盛期の7分の1程度の約8万5000人です。
世界最初のユースホステルもドイツのアルテナにある古城の一角に設けられました。部屋は、男女別の相部屋で、1部屋が4人〜8人ぐらい、2段ベッドの洋室(日本では畳部屋もあり)が基本となっております。海外のユースホステルでは、スウェーデンの帆船ユースホステル、ドイツの古城ユースホステル、カナダの元刑務所ユースホステル,ニュージーランドの広大な芝生の庭に囲まれた邸宅ユースホステルなどいろいろ。料金は安くても、食事やサービスは十分満足できるもので、経済的で、泊まり合わせた人同士が気軽にふれあえる旅の宿です。
ユースホステルを利用するには、会員証を入手すると便利です。宿泊費が600円ほど安くなります。各都道府県にあるユースホステル協会または最寄りのユースホステル案内所、全国のユースホステルにて、簡単な手続きで会員証が取得できます。この会員証は世界共通で、日本で取得すればどこ国のユースホステルでも有効です。また、会員証によって国内・海外の観光施設等の割引を受けられるなどの特典もあります。
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