■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
☆協会発足にいたるまで
☆日本初のユースホステル
☆日本ユースホステル協会の誕生
☆日本ユースホステル協会設立
☆グループの誕生と行事の活発化
☆国際YH連盟への加盟
☆公営ユースホステルの建設
☆事務所移転と直営YH誕生
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000
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事務所移転と直営ユースホステル誕生
■黒くなった壁
日本ユースホステル協会の事務局が東京駅前の旧丸ビルの6 階668号室にあった頃のことです。2月の終わり頃になると学校休みで旅に出ようとする若い人たちが、ユースホステルのあることを知って丸ビルの事務局に来はじめいよいよシーズンになりますと、「うなぎの寝床」の別称のある細長い事務局には入り きれずに、2百人から3百人が廊下にあふれて、長い列ができました。入会申込書を書く机もない、そこで立ったまま壁で入会の書き入れをしました。その壁がいつの間にか真異になりました。あまり大勢ならぶので家主の丸ビルから苦情をうけ、昭和35年3月に事務局を富士観光ビルに移しました。
■直営−ユースホステル第一号
日本でユースホステル運動が興ってからしばらくのあいだ、利用されたユースホステルは友好団体の施設や旅館、山小舎の一部をホステルとして使用する、いわゆる契約ユースホステルのみでした。しかし、そのユースホステル活動は、最初からユースホステルとして設計され、建設された宿舎をベースとしてこそ活かされ、発展するということが関係者に認識されてきていました。施設として基準に合った公営ユースホステルはできましたものの、運営においては日本ユースホステル協会の趣旨にそいません。どうしても協会自らの手でホステルを造ろう、という要望が急激に広まりました。昭和35年7 月、協会関係者の熱意と工夫により、ユースホステル運動発足10年目にしてようやく協会は、自らのホステルを持つことができました。北海道支笏湖湖畔にできた「支笏湖ユースホステル」がそれです。
この場所はもともと廃校になった小学校を千歳市より払い下げを受け会員専用ホステルとして使用(昭和30 年夏より)していたのですが、新築のホステルは緑の森の中、3角形のホステルマークをかたどった赤い三角屋根のエキゾチックな建物で、環境といい設計の斬新さといい、非常に印象的なものでした。
建築費は、全国競輪施行者協議会からの特別寄附金によります。ここにユースホステル運動発足以来、全会員の悲願であった会員専用のホステルが誕生しましたが、これよりのち毎年継続的に建設される直営の第一号でした。 |