■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
☆協会発足にいたるまで
☆日本初のユースホステル
☆日本ユースホステル協会の誕生
☆日本ユースホステル協会設立
☆グループの誕生と行事の活発化
☆国際YH連盟への加盟
☆公営ユースホステルの建設
☆事務所移転と直営YH誕生
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000
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国際ユースホステル連盟への加盟
ユースホステル運動を進めるうえで、どうしても国際的な位置づけや諸外国との交流をはかる必要性から、昭和29年(1954)8月、ザールランドで開催された第15回国際ユースホステル連盟(INTERNATIONAL YOUTH HOSTEL FEDERATION略称I.Y.H.F)総会に最初の日本代表として、横山祐吉と前川宗辛の両氏を派遣しました。この会議の席上8 月16日に、日本は一国の反対もなくIYHF への準加盟が承認されました。この時のもようを横山は帰国後「……私が英語で短いあいさつを述べたあとは、別に反対もなく、日本の加盟が承認されました。私は日本が世界を敵としてたたかい、オランダやイギリス、濠州などにまだ対日悪感情が残っていることも予想していました。しかし、そのようなことはみじんもなく、どの国の代表からもまったく同志として暖かい厚遇をうけたことに深い感銘を覚えた」と述べています。
これにともない同年12月1日から国際規約によって認められたイヤースタンプを貼った新会員証を発行できることとなり、これまで日本国内だけしか通用しなかったものが、世界に通用する会員証となりました。
当時現実には外国旅行に出かけることなど、ほとんど不可能な時代でしたが、将来の可能性として会員のよろこびは大きかったです。
そして2年後、昭和31年(1956)8月、イギリス・スコットランドで開催された国際ユースホステル連盟第17回総会で、日本は準会員国から正式会員国に満場一致で承認されました。
ここ数年における会員数の増加や、ホステル網の整備の状況がIYHFにおいて高く評価された結果です。日本のユースホステル運動が国際的に認められたことは、その後の国際交流の活発化をもたらすとともに、世界に対する日をひらかせることにも大いに役立ちました。
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