■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
☆協会発足にいたるまで
☆日本初のユースホステル
☆日本ユースホステル協会の誕生
☆日本ユースホステル協会設立
☆グループの誕生と行事の活発化
☆国際YH連盟への加盟
☆公営ユースホステルの建設
☆事務所移転と直営YH誕生
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000
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日本ユースホステル協会設立
■発起人会と設立総会
急速に動き出した日本のユースホステル運動が、第一回 の発起人会をひらいたのは、昭和26年9月18日でした。そして10月16日に行われた第2回設 立発起人会を設立総会にふり替えて、新役員を決定、ここに日本ユースホステル協会が発足しました。またこの時、山中湖畔での協会設立記念第一回ホステリングの実施をきめました。
第一回ホステリングは、昭和26年11月17、18 日の2日間、山中湖畔の清渓寮を中心に若々しさに満ち溢れて行われました。協会役員と各大学ワンダーフォーゲル部員たちを中心に、地元の中学生、青年団員などが参加してその数は100名をこえました。
河口湖、山中湖をサイクリングし、その夜の清渓寮でのキャンプファイヤーは、日本のユースホステル 運動の幕明けにふさわしい情熱の贋でもありました。
■試行と基盤づくり
昭和26年秋、設立総会と第一回ホステリングでスタートを切った日本のユースホステル運動も、その後 2年間ほど、この運動をどのようにすすめるかについて、熱心な同志ボランティアが夜ごと集まっては討議を重ね、できるものから順次着手していくこととしました。
モデルホステリングを繰り返し実施して運動の理解者をふやすこと、宣伝物の作成、マスコミによる周知、講演と映画の会開催などをきめましたが、資金も乏しく中山や清水斉(専務理事)などが集めて来る金でようやく運営する状態であり、関係者は何をするにも手弁当で集まりました。行事は必ずしも成功するとは限らず、試行と錯誤を重ねながら次第に基礎固めを行っていきました。
昭和27年2月には、第2回ホステリングを伊豆長岡において、7月には第3回ホステリングを日光において実施しました。また宣伝用リーフレットが初めて制作したり、半紙半京大の謄写版刷り「日本ユースホステル協会ニュース」が創刊されました。薄青色の台紙に日本ユースホステル協会の三角マークを入れた会員証が作られたのもこの年です。11月には小金井浴恩館で第一回ペアレント懇談会が開催されましたが、下中会長、中山副会長ら協会役員の参加者のほうが多いという状態でした。
この年、昭和27年(1952)の会員数944名、ホステル数13でした。
昭和28年3月には、「日本ユースホステルの歌」(作詞、作曲上坂茂男)が集会や行事に歌われていましたが、これをトップに収録した「ユースホステル歌のしおり」が発刊されました。この歌集は、みんなの心が一つにとけあうように、みんなが楽しく歌えるようにと配慮され、その後のホステリングや集会に大いに利用されました。34ページ、謄写版別の小刷子は、翌昭和29 年6月刊行の「新しい時代の若人の歌」(新書版80ページ126曲収録)につながる仕事となりました。
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