■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
☆協会発足にいたるまで
☆日本初のユースホステル
☆日本ユースホステル協会の誕生
☆日本ユースホステル協会設立
☆グループの誕生と行事の活発化
☆国際YH連盟への加盟
☆公営ユースホステルの建設
☆事務所移転と直営YH誕生
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000
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日本初のユースホステル
■日本初のユースホステル
日本において戦後はじめてユースホステルの看板を掲げたのは、高知県若宮高原の樫谷義広でした。彼は陸軍の将校としてラバウルにおいて終戦を迎えましたが、抑留中に身分を米軍に説明するに当たり、同じ隊に居た一ツ橋大学出身の部下から、あなたが戦前からやっている青少年のための宿舎はユースホステルというのですから、そのように説明したらという示唆を受け、このことを話したところ米軍担当官は良く理解してくれ、その後の取り扱いも変わったといいます。彼は昭和22年復員後、さっそく自分の施設をユースホステルと名付け、若宮高原ユースホステルとなっています。
■戦後に来日したアメリカユースホステル協会
第2次大戦が終わって4年後の昭和24年(1949)には、早くもアメリカユースホステル協会のメンバーが来日しています。当時戦領下にあった日本ではCIE(民間情報教育局)のD.タイパーより連絡を受け、YMCAのR.L.ダーギンらと協力して全日本学生ワンダーフォーゲル連盟のメンバーが受け入れの世話をしました。アメリカユースホステル協会の創立者であるモンロー・スミス夫妻がリーダーとなって、ユース・アーゴシー(青年の船)という青少年の旅行団体を主催し、世界一周旅行の途中日本に立ち寄ったものでした。
アメリカグループによる訪日は、翌1950年にも行われ、この米グループと接触したワンダーフォーゲルの学生たちは、ユースホステル運動の存在とその意義を知らされ、大きな影響を受けました。このスミス夫妻は日本のユースホステル運動に関係の深い人物で、日本にユースホステル運動を紹介したばかりでなく、日本ユースホステル協会発足以後も、いろいろと発展に尽力しました。のちのことですが、Jユースホステルはこのスミス夫妻を昭和
43年(1968)に日本で開催された国際ラリーに、謝恩の意味を兼ねて招待をしました。夫人イザベルは病気のため訪日できませんでしたが、モンローは来日して日本のユースホステル運動の発展をつぶさに見て帰りました。
アメリカのホステラーたちの来日により、ユースホステル運動を初めて知り、その意義を理解したワンダーフォーゲルの学生たちは、さっそく日本においてもユースホステル活動をはじめるべく、当時オランダのアムステルダムにあった国際ユースホステル連盟(IユースホステルF)へ連絡をとり、この運動にのり出しました。昭和25年(1950)のことです。 |