公営ユースホステルの建設

■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
  ☆協会発足にいたるまで
  ☆日本初のユースホステル
  ☆日本ユースホステル協会の誕生
  ☆日本ユースホステル協会設立
  ☆グループの誕生と行事の活発化
  ☆国際YH連盟への加盟
  ☆公営ユースホステルの建設
  ☆事務所移転と直営YH誕生
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000

公営ユースホステルの建設

 運動発足以来、協会関係者は国際基準に合致した自前のユースホステルを持ちたいと熱望して来ましたが、特に財団法人として認可(昭和31 年)以来、所管官庁である文部省に対して国費でユースホステル建設して欲しいと陳状を繰り返して来ました。
 一方運輸省でも観光的見地から、わが国に外国の若者を誘致することを主な目的として、Y H建設国庫補助金の予算要求を昭和32年度に行きましたが、実現をみませんでした。このため翌33年度予算要求の際に再び大蔵省側と折衝を重ねながら、「予算要求貫徹に協力して欲しい」とJY Hに対し申し入れがありました。このため日本ユースホステル協会としては、副会長中山正男を中心として陳情をくり返し、一時は到底見込みがなかったが総理大臣岸信介の裁定まで持ち込み、1億円の予算がきまりました。
 さて予算はきまりましたものの、その分配を受けた文部省・運輸省とも、われわれがかねて考えていたものとはいささか形の変わったものになりました。文部省には1億円のうち6千万円が配分されましたが、これは青年の研修を目的とする「青年の家」建設のためのものとなり、ユースホステル に対するものではありませんでした。他方4千万円を「ユースホステル建設補助」として予算獲得した運輸省は、地方自治体に補助交付して、いわゆる「公営ユースホステル」を順次建設していきました。

 ところがこの公営ユースホステルは国民の税金によって建てられたものですから、特定の会員だけのものではなく、一般の人たちにも公開すべきであるとの考え方から、誰でも利用できることになりました。
 このことはこの予算獲得に情熱を燃やし、協力を惜しまなかった協会関係者にとって、トンビに油揚げをさらわれた感を深くしました。また公営ユースホステル側の諸規則に対する日本ユースホステル 協会側との考え方の喰い違いは現在に至るまで解決されていない部分もあります。

 昭和34年6月には運輸省補助による公営ユースホステル 第一号として軽井沢ユースホステル(長野県)が開所しました。鉄筋コンクリート一部ブロック造り、収容人員男30名、女20名、当時としてはまことに立派なものでした。引き続き日光ユースホステル(栃木県)那智ユースホステル(和歌山県)など、昭和42年度までの 10年間に、公営ユースホステルは75ヶ所が開所した(なおこの他に琉球政府立、真栄田岬ユースホステルがある)。
 これらの公営ユースホステルの誕生は、先に述べた問題を含んではいますものの、ユースホステル網の整備やイメージアップ、PR効果などユースホステル運動の振興に少なからぬ役割を果たしたことも、また事実です。
もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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