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タウナス
一九三七年七月、シルマンは、ヒトラーユーゲントの指導者シラーハに国際ユースホステル協会会長の地位を退くよう命じられました。そしてナチスは、シルマンのパスポートを取り上げて、ドイツ国外へ出られないようにしました。そしてアルテナ城から追放され、全ドイツのユースホステルヘの立入を禁止されました。
ドイツユースホステル協会を追放されたシルマンは、フランクフルトの北西、タウヌス山地にあるヒルーグレーベンビースバッハという小さな村で、わずかな恩給と自家菜園を作ることで生計をたてました。六人の子供をかかえて生活は苦しかったですが、畑仕事に精を出しては、飢えをしのぎました。
ところがシルマンの自宅には、世界各地からユースホステル運動を行う人々が訪れました。ナチスが、シルマンを永久追放しても、世界の人々はシルマンこそが、ユースホステル運動の創始者であることを知っていました。
シルマン夫人は、貧しい中工面して、同士たちを手料理でもてなし、ユースホステル運動について語り合いました。シルマンは、昔から話し好きの男で、話し始めたら止まらない人でした。普通の人の十倍は話す人で、特に演説になると必ず時間をオーバーすることで有名でした。ですから昔の同士たちとの再会は、会話が特に弾みました。しかし、そんなシルマンも話が政治問題になりますと暗くうつむき無口になりました。
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