パダボーン(子供村)

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パダボーン(子供村)

 第一次世界大戦が終わると大量の軍需物資が余りました。それをユースホステル協会に寄付してもらったりしたのですが、余ったのは軍需物資だけではありません。軍事基地も余っていました。それに目をつけたシルマンとミュンカーは、幾つかの施設を借りられるよう申請しました。そして一九二四年に許可されたのが、パダボーンのスタウミュエルにある練兵場の中に立つ兵隊バラックで、兵舎二十五棟、ベッド数千という巨大なものでした。

 ドイツは個性を大切にする国柄です。それゆえにいろいろな学校があり、小さい頃から別々の学校に別れて学びます。階級ごとに学校が別れていましたし、人種や宗派ごとにも学校が別れていました。みんなバラバラで、そのくせルールだけは律儀にまもる。これがドイツとプロイセンの特色でしたが、そのバラバラに別れている子供たちが、一緒に遊べる子供村を作ろうとシルマンは思ったのです。

 しかも、プロテスタントもカトリックも一緒にキャンプするということが味噌でした。この時代のドイツでは、いや第二次大戦後の間もない時期に至ってもドイツでは、プロテスタントとカトリックは学校を別にしていましたし、大学でのダンスパーティーなどでもプロテスタントとカトリックは別々に行っていました。そういう国柄でしたから、キンダーツェッヒエの伝説に基づいて子供たちの村をつくるという事業は、シルマンには非常に意義あることのように思えました。
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