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ヒルヘンバッハ
ウィルヘルム・ミュンカーは、一八七四年十一月二十九日。アルテナの南東方向にあるジーガーランドの人口二万ほどの小都市ヒルヘンバッハ(Hilchenbach)に生まれました。ミュンカーの父は、針金工場と鋲工場を経営していました。そして民衆学校に通いつつ、自然の中で暴れまわった口でした。森と山に囲まれたヒルヘンバッハは、美しい小さな街でしたから、どこを散策しても美しい自然に不足することはありませんでした。
しかし、ミュンカーが十六歳になった時、二日がかりのミュンカーの通っていた商業学校の修学旅行で、ザウワーランド山系の父といわれるカーラー・アステン山(ヒルヘンバッハの北東)に登った時には、山の美しさに感動し、以降は、二人のクラスメイトと共に三人で、放課後に狂ったように登山をしました。
一九〇三年(二十九歳)には、北部ライン山岳協会のヒルヘンバッハ地区の会長に推されるほどになりました。一九〇五年には、同協会本部のコース委員会の委員に就任。やがて委員長に就任し、郷土委員会や自然保護委員会の幹部として活躍するまでになりました。そしてミュンカーの手腕によって山岳協会は巨大化し、ドイツの山岳地方協会としては、最も活発な活動を行う団体の一つとして、全国からも注目されるようになりました。ミュンカーの天才的手腕のたまものでした。
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