ゲルゼンキルヘン

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ゲルゼンキルヘン(Gelsenkirchen)

 一九〇一年二七才の時、彼は思いきって第一歩を踏み出した。永久に東プロシアの地を後にしたシルマンは、ルール地方の中心地ゲルゼンキルヒュンで教職についた。新たな彼の住居と学校は、渦まく工業地帯の巨大な坑口、鉄滓の山、コークス炉の中にあった。そこはドイツのめざましい工業的発展の波にのって躍動する地だ。この新しい環境で新しい教育方法をためし、ドイツの“黒い都市”に住む沢山の不幸な子供たちを救う機会をつかみたいと望んだ。

 後日、シルマンは、つぎのように書いている。「国民の大部分が、大都市と工業地帯の喧燥の中で生活しています−墓へ導く有毒な煙をはく地帯に。それは石でできた死海にひとしい。そこには、青白い顔の子供たちがたむろし、彼らはひばりの歌を聞いたことも、緑の原っぱを見たこともないのです」

 言うまでもなく授業の第一歩は、町からほんの二、三マイル離れたウェストファリアンの丘まで生徒を遠足につれていくことに始った。「道は、急坂の山腹を登ってゆく。やがて子供たちの胸は、町の体育館や、学校の汚れた空気とは比較にならぬ澄んだ山の空気でいっぱいになる。小さい活字に苦しめられ、ほとんど近視状態になっている子供だちの眼は、ふたたび遠くに向けられ牧場や森の濃い緑に吸いつけられる−頬は染まり、まる出しにした細い腕は、赤く陽に焼ける。幼ない彼らの瞳は輝き、よろこびとからいばりの火花をちらす−」

ユース・ホステルの祖父(グレアム・ヒース)より



ゲルゼンキルヒェンは、ゲルゼンキルヘンとも表記します。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属します。ルール地方に位置する工業都市。近隣の都市としては、約10キロ南東にボーフム、20キロ東にドルトムント、25キロ西にデュースブルク、約40キロ南西にデュッセルドルフが位置しています。
 19世紀までは小さな村でしたが、産業革命の進展とともに急激に発展を遂げていきました。20世紀に入り、ナチス政権においては、石炭の採掘や石油精錬の中心都市にまで成長していましたが、それゆえに第2次世界大戦では連合国による激しい爆撃の対象となりました。第2次世界大戦後は復興を果たし、最盛期には人口が40万人にまで達しました。しかし、産業の衰退によって人口は減少していき、現在は、27万人です。
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