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アルザス・ロレーヌ
第一次世界大戦で、 シルマンの向かったところは、普仏戦争でドイツ領土となったアルザス・ロレーヌ地方でした。このアルザス・ロレーヌ地方と言えば、ある世代の人間なら国語の教科書で習った『最期の授業』という話を思い出すでしょう。しかし、歴史的にアルザス・ロレーヌ地方の言葉はドイツ語であり、住民のほとんどはドイツ人でした。従って住民の大半は、フランス語を書くことはおろか話すこともできなかったことは有名な話です。フランス人作家アルフォンス・ドーデは、この現実を無視して『最期の授業』を発表したものでした。この小説の中で、フランス語教師は、子供たちにこう言っています。
「君たちはフランス語を書くことも話すこともできない!」
そのとおりでした。アルザス・ロレーヌ地方の人々は、ドイツ語しか話すことも書くこともできなかったのです。そして、ボージュ山脈を境に東がドイツ人居住地帯で、西がフランス人居住地帯でした。このボージュ山脈にシルマンが所属する師団が配置され、シルマンは、四十歳という老齢ながら超人的な体力をもって軍務で大活躍し、前戦兵勲功章を受賞し、一九一五年に下士官に昇格しました。
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