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アルテナ
リヒャルト・シルマンは、アルテナのある学校に転勤した。アルテナは、ルール地方の南東に位置する北部ラインの樹木の豊かな丘陵のふもとにある小さな町であった。「なんという違いだろう!」シルマンは、書いている。「むっとする臭気と埃り、くすぶった。空気の地からこんもり樹木の繁った丘にかこまれた小さな清々しい町。さわやかなこの風、なんとすばらしいことか!」
しかし、このような恵まれた環境に住みながら、町から一歩も踏み出したことのない子供が多かった。そこでシルマンは、これまで何度も経験ずみの足による旅行を実施することにした。
シルマンは、言っている。「こんもり繁ったぶな林で歌をうたう方が、教室に閉じこもったままの勉強より二倍もすばらしい。地理や自然の歴史の勉強は、こんなふうに田園地方を探索することで十分だった。それにまた、子供たちのよろこびようは大へんなものでした」
学校て定めた時間表によれば、授業時間中の遠足は許可していなかった。そこで放課後を利用することにして、ウィークエンドに遠出するようにした。しかし連休を利用する旅行計画を提出した時、思いがけず校長の反対にあった“これまですでに”歩き気違い先生”によって公の規則は破られていたにもかかわらず、今さらそれを楯に校長は首を横にふった。
予想外の障害に出くわしたシルマンは、他校への転任を申し出、許可された。新任地はネッテ・スクールといい、やはりアルテナの一部に位置していた。ここの校長さんは、シルマンの考えに同意を示し、地方教育委員会の認可を得て授業時間中の遠足をも許してくれた。一九〇八年付きの公式許可申請書は、今も残っている。
「賜暇願い(セブン・マウンテン修学旅行のため)アルテナの教師リヒァルト・シルマン。ヒュルシャイト教育検査官、パルゾン・ケップ殿。閣下! 長年にわたって私は、有名なベルリンのワンダーフォーゲルにならって学校の休暇中、徒歩旅行を指導してまいりました。少年たちが実社会に一歩を踏み出す前に、自分自身の体験によって母国の美しさを知り、それを賞讃するようにならなければなりません。それには、カバンを背に、最小限の旅費をポケットに入れて、町から村へ野から山へと歩きまわることてす−」
「私は、この申請を心から支持するものであります」
という校長の言葉。さらに学校委員会の「許可されんことを願います」との添書とともに、この申請書は提出された。やがて教育検査官は「許可す」の一文を添えて印を押した。−ふたたび旅行活動が始まった。
いつの場合も、計画は綿密に計算され、十分な注意と準備の上にたって実施された。毎日の日程表。項目別予算、一行の宿舎に関する書類など。問題になるのは、いつも宿舎であった。しかし宿泊所を確保するまでシルマンはどんな苦労もいとわなかった。セブン.マウンテン旅行の際、無料宿泊所を要請したシルマンの依頼書に対する返事として、ある農夫は、答えてきた。「納屋に寝る必要などありません。私のところには、あき部屋がたくさんあります。先生や若い人たちに使っていただければ、こんなうれしいことはありません」また、ある先生は、次のように書いてよこした。「“ツール・ロベ”旅館をたずねてごらんなさい。貴方のこ希望にそうと思います。旅館の主人ヤコブ・クニップと奥さんは子供好きで非常によい人たちです。不幸にしてこ夫妻には子供がないのです。あなた方が、お泊りになれば、きっと喜こぶと思います」
ユース・ホステルの祖父(グレアム・ヒース)より
■アルテナYH Castle Altena
"Burg Altena,"
Fritz-Thomee Str.80 58762, Altena tel: (02352)
23522
世界最初のアルテナYHは、1909年古城を改装し誕生。現在この建物はYH博物館となり、黒光りした太く頑丈な2,3段ベッドが当時のままに保存され、YH関係の資料も展示されています。1999年に、アールヌーヴォー様式の別館が増設されています。ハーゲンから列車で30分、アルテナ駅下車アルテナ駅より徒歩20分。
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