■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
☆日本ユースホステル協会史
☆横山祐吉氏の退任
☆山岡荘八と上田常陸の死
☆伊賀省三・藤井務理事長
☆なぜ会員は激減したのか?
■1981〜1990
■1991〜2000
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伊賀省三・藤井務理事長
上田常陸が一期つとめた後の国際ユースホステル連盟の執行委員は、昭和53年(1978)以降日本ユースホステル協会常任理事の兼松保一が引き継いでいます。兼松は、戦後はじめてアメリカのユースホステルおよび国際ユースホステル連盟と接触したワンダーフォーゲル関係者の一人で、日本ユースホステル協会創立当初から発起人として参画しています。
会長を補佐し事務局を統率してユースホステル運動を推進する原動力たる理事長も、会長の異動とともに交替しました。昭和49年11月、横山会長が名誉会長に退いたおり、理事長の金子智一も副会長となり、後任の理事長には伊賀省三が就任しました。当時北海道ユースホステル協会理事長でもあり、与望をになって登場した伊賀も周囲の状勢は内外とも問題が多く充分な成果をあげないまま昭和54年6
月、3期日在任中に病を得て退任しました。
後任の理事長には、日本交通公社在職中より 日本ユースホステル協会の理事として、また日本ユースホステル協会創立当初からワンダーフォーゲル関係発起人の一人として関係していた藤井務が就任しました。
第8代会長上田常陸の後を継ぐ第9代会長は、元総理大臣福田赳夫(日本ユースホステル協会顧問)の推せんで、昭和56年2月、衆議員議員桜内義雄(自民党幹事長、ボーイスカウト振興国会議員懇談会会長など各団体の要職にある)が就任しました。この新会長のもとに日本のユースホステル運動は創立30周年を迎え、きびしい状勢の中で、新しい飛躍に向かって前進しようとしています。
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