■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
☆日本ユースホステル協会史
☆横山祐吉氏の退任
☆山岡荘八と上田常陸の死
☆伊賀省三・藤井務理事長
☆なぜ会員は激減したのか?
■1981〜1990
■1991〜2000
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横山祐吉氏の退任
昭和49年11月の日本ユースホステル協会理事会では、第6代会長の横山祐吉の退任が決定されました。横山は、昭和26年協会発足以来23年間の長きにわたって、専務理事、理事長、会長の枢要地位を占めてきました。会員ゼロの時代からユースホステル運動を育ててきた横山が、会長を退任して名誉会長につかざるを得なくなったのも時代の流れです。
中山正男と車の両輪の如くコンビを組み、日本のユースホステル運動の発展に献身して来た横山も、その5年前に力と頼む中山を失い、うしろ髪をひかれながら第一線を退いたのでした。
名誉会長に退いた横山は、執行委貞6年、副会長6年、計12年の長きにわたってつとめた国際ユースホステル連盟の役員も、昭和51年(1976)8月に退き、シルマン基金委員となっていましたが、昭和 53年1月、病を得て73歳で死去しました。
また、職員そして常勤理事として横山をたすけて働いてきた小野里賢一も、その2カ月後に突如55歳でこの世を去りました。
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