山岡荘八と上田常陸の死

■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
  ☆日本ユースホステル協会史
  ☆横山祐吉氏の退任
  ☆山岡荘八と上田常陸の死
  ☆伊賀省三・藤井務理事長
  ☆なぜ会員は激減したのか?
■1981〜1990
■1991〜2000

山岡荘八と上田常陸の死

 横山退任のあと第7代会長に就任した山岡荘八は、作家として長大作「徳川家康」で有名です。先年故人となった第4代会長中山正男の友人であり、「冥土に行って中山正男とユースホステルの話をする」ことを楽しみに会長を 引き受けましたものの、就任後まもなく健康を害し、抱負の一端をも実現することもなく、就任 3年後の昭和53年9月、会長在任のままこの世を去った(享年71歳)。

 山岡荘八死去による後任には、会長代行をつとめていた副会長の上田常陸が、第8代会長として就任しました。元毎日新聞社社長で、青少年育成国民会議の副会長をつとめるほか数々の要職を兼ねていましたが、昭和49年、そごう社長水島広雄(日本ユースホステル協会顧問)の推せんで、東京都ユースホステル協会会長についていました。その後日本ユースホステル協会副会長時代の昭和51年(1976)8月、国際ユースホステル連盟副会長であった横山祐吉のあとを受けて同連盟の執行委員に選ばれ、国際的にもその活動が注目されていました。

 第8代会長就任後2年足らずの昭和55年(1980)10月、内外から多くの期待を寄せられていた上田は、とつぜん病を得て死去した(享年80歳)。壮者をしのぐエネルギーと行動9青年運動に対する情熱、その高邁なる識見を持ったこの上田会長の死は、会員漸減傾向に歯止めのかけられない最近の日本ユースホステル運動にとって、大きな損失でした。



もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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