広報活動の成功

■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
  ☆会員増加と支部協会の完成
  ☆国際行事の活発化
  ☆広報活動の成功
  ☆青年の船と国際ユースホステル総会
  ☆二人の偉大な指導者を失う
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000

広報活動の成功

 ブームに乗った時は何をやってもうまくいくものです。1950年代、ユースホステル発足から基盤づくりの10年間は、周囲の理解を得るために悪戦苦闘をし、一つ一つ石を積み上げていくような努力の連続でした。それが発展時代の1960年代(昭和36〜45年)の10年においては、広報活動でも大きく変化をしてきます。

 昭和37年(1962)8月、ユースホステル運動発足当時ガリ版刷りでスタートした「ユースホステル新聞」が、高速輪転機印刷に衣替えしました。協会と会員、協会本部と支部、ユースホステルと一般社会を結ぶ「ユースホステル新聞」がスピードと内容を大改善したのですから、各方面への波及的効果はまことに大きかったです。

 昭和40年5月に伊豆臼井ユースホステルで開催された第 一回ユースホステル新聞編集担当者会議は、この大発展に対応して担当者の資質向上と、相互の連携をはかるものでした。当時でも(日本ユースホステル協会新聞)と支部協会紙を合わせると年間発行部数は500 万部をこえており、広報効果はたいへんなものでした。

 この昭和40年12月、一年がかりで取り組んでいた映画「ヨーロッパの旅」(製作理研映画社、後援東海銀行)が完成しました。イーストマンカラー、上映時間一時間の大作で、総指揮中山正男、指導、脚本は横山祐吉が担当、監督島内利男、作曲団伊玖磨、解説は小沢昭一です。ちようどこの年行われた第一回ヨーロッパホステリングを現地においてとらえ、各国におけるホステリング参加者127名の活動が記録されていますが、特にポーランドでの国際ユース・ラリーのラストシーンは、この映画の圧巻でした。

 昭和41年(1966)は日本ユースホステル協会創立15周年を迎えた年であり、また会員が40万名を突破した年ですが、この運動が一般家庭のお茶の間に入り込んだ年でもあります。NHKテレビ大型連続ドラマ「太陽の丘」(主演森繁久弥)が、ユースホステルを舞台として4月から一年間、夜8時からのゴールデンアワーに放映されました。

 このドラマがスタートしますと、ユースホステル関係者はもとより、たちまち一般家庭の人気番組となりました。伊豆のあるホステルという設定で森繁の演ずるペアレントとその一家と、そこを訪れるホステラーとの交流が巧みに描かれていました。人間の織りなす喜怒哀楽とともに、ホステルにおいて起こるいろいろな問題も盛り込まれていて、ドラマとしての評価も高かったです。また、ユースホステルというものを、一般の人々に広く知らしめた功績は抜群のものでした。

 同41年9月から翌42年12月まで、朝日新聞日曜版の紙上に「ホステル仲間」と題して詩人の秋谷豊が、ホステルをベースにしたユニークな紀行ガイド記事を連載しました。この記事は翌年「ホステル仲間一青春の詩の旅」と題して、一冊の本にまとめて刊行され好評を博しました。

 NHK、朝日新聞などジャーナリズムでもトップクラスの会社がユースホステルを取りあげ、しかも長期連続、連載をしてホステルを紹介したことは、健全なユースホステル運動が正しく評価されたしるしとして、たいへんよろこばしいことでした。同時に一般社会に対するPR効果としても絶大なものがありました。宣伝やPRは、ブームになるとこちら側からそれほど働きかけをしなくとも、社会やジャーナリズムが放っておかないという、実感も残りました。

 昭和39年(1964)は東京オリンピックが、敗戦から立ち直り繁栄を取り戻した日本の総決算として、華かに開かれましたが、この年に東海道新幹線と名神高速自動車道が完成し、交通体系に大変革が起きました。外貨持ち出しが緩和されて海外旅行が自由化したのもこの年です。
 昭和41年から42年にかけては、マイカーブームが始まりました。昭和44年には東名高速自動車道が開通し、海外旅行の安直なパッケージツアーが売り出され始めました。カラーテレビが普及し、週休二日制が企業に浸透しはじめたのもこの頃からです。昭和45年(1970)にはEXPO’70日本万国博が開催されました。
 要するに、昭和39年を境として日本の社会全体が、経済復興の時代から消費の時代に移り、旅行ブーム、レジャーブームが湧き起こりました。

 大幅な会員増とユースホステル数の増加や施設の充実も、ユースホステル運動自体の活力や、ユースホステル関係者の努力の結晶であったことはもちろんですが、当時の高度経済成長とそれによるレジャーブームが影響した面が、大きかったことも否めません。ユースホステル運動の実力以上の伸長数字であったともいえましょう。

 ところがこのレジャーブームに沸く以前の昭和三十年代後半に、すでにユースホステルは急伸長を始めていましたが、後年ユースホステルと競合するようになる、エコノミーな公共宿泊施設の「国民宿舎」や「国民休暇村」が誕生し、着々と基盤づくりと整備に力を注いでいました。

もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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