会員増加と支部協会の完成

■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
  ☆会員増加と支部協会の完成
  ☆国際行事の活発化
  ☆広報活動の成功
  ☆青年の船と国際ユースホステル総会
  ☆二人の偉大な指導者を失う
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000

会員増加と支部協会の完成

■会員増加を迎えて
 1960年代の10年間、日本のユースホステル運動の量的発展はまことに目覚しいものがありました。発展、成長の陰にはそのもとになるべき確固たる基盤がなければなりませんが、ユースホステル運動でも1950年代の発足後10年間の基盤づくりの時代が、この量的発展には大いに役立っています。

 これを数的に見ますと、昭和36年(1961)には会員数12万6500名、ホステル351ヶ所であったが翌年の昭和37年には早くも会員数20万1273名、ホステル数382ヶ所となりました。2年後の昭和39年(1964)には会員数は30 万名をわずかに割る数に達し、ホステル数は 421ヶ所にふえます。翌昭和40年には会員数34万4461名と大幅に伸び、ホステル数は443ヶ所となりました。昭和41年、会員数は40万名をこえ、そして昭和44年(1969)会員数50万3604名、ホステル数567ヶ所となります。ついに日本のユースホステル運動に会員数50万名、ホステル数500の時代が到来したのです。

 昭和36年の会員12万6500名・351YHに対し、
 昭和45年の会員52万3992名・575YH。
 会員数において4倍、
 ホステル数において1.63倍の急増でした。

■支部組織網の完成
 昭和30年、北海道を最初に昭和35年までに支部協会は32協会が設立されました。昭和36年には東京都協会など7支部が誕生し、翌37年は6支部が設立されました。そして昭和39年9月には、鳥取県協会が発足して、支部組織が全国的に完成されました。
 この全国的な支部網の完成が1960年代の運動推進に大いに力を発揮し、会員登録窓口の拡大、会員サービスの充実、ホステルやペアレントへの効果的な指導などが全国もれなく実施できることとなり、会員増とユースホステル活動の活発化の両面に多大な影響を与えました。
 質の向上をはかる必要から、昭和36年2月にユースホステル調査選考委員会を発足させ、ホステル設置申請の審査を行う一方、設置方法、施設基準などの研究をすすめ、翌37年2月「ユースホステルの設置・運営基準」を制定しました。
 支部協会の充実や、ユースホステル運動の発展にともない、日本ユースホステル協会の組織強化と基礎固めをはかったのも同37年のことです。政府と民間団体としてのかかわりのあり方、日本ユースホステル協会と支部協会のあり方、事務機構について、財務について、事業についてなど8項目の基本条件を「ユースホステル組織審議会」で検討しました。
 ユースホステル運動発展の鍵を握るものはペアレントであるという観点から、昭和38年2月には伊豆臼井ユースホステルで4泊5日の「第一回ペアレント教室」が開講されました。ペアレントの資質向上を目的として、特に実務を中心にして講義がすすめられました。また地域におけるペアレント協議会が全国5地区で開催されたのもこの年です。翌39 年夏には、2名のペアレントがヨーロッパのホステル研修のテストケースとして、ユースホステルの本場であるドイツや周辺の国々に派遣されています。
もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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