国際行事の活発化

■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
  ☆会員増加と支部協会の完成
  ☆国際行事の活発化
  ☆広報活動の成功
  ☆青年の船と国際ユースホステル総会
  ☆二人の偉大な指導者を失う
■1971〜1980
■1981〜1990
■1991〜2000

国際行事の活発化

 「ユースホステル組織審議会」(昭和37年)の答申を得て、日本ユースホステル協会は海外ホステリング事業を開拓する方針を定め、これに着手することになりました。当時、まだ米軍の統治下にあった、沖縄ユースホステル協会の発足を記念して、昭和37年3月待望の第一回沖縄ホステリングが行われ、いわば海外ホステ リングのはしりでもありました。昭和38年9月には日米交歓ホステリングの日本側グループとして、11名が海外旅行自由化以前に55日間の長期アメリカ・ホステリングを実施しました。

 昭和36年(1961)3月、A・グラッスル IYHF副会長が極東地区ユースホステル事情視察のため来日。

 同年10月、イスラエルでの第3回アジア地区ユースホステル会議へ佐藤信一(大阪ユースホステル協会副会長)団長以下6名の日本代表団派遣。

 昭和38 年(1963)8月、アイルランドでの第23回IY HF総会へ横山祐吉以下5名の代表派遣。

 翌39 年(1964)マラヤでの第4回アジア地区ユースホステル会議へ金子智一(日本ユースホステル協会理事)など11名出席。

 同年4月、国際ユースホステル連盟グラッスル会長以下、執行委員、シルマン基金委員など17名出席による、アジアで初のIYHF執行委員会が日本で開催されました。

 他方、昭和39年(1964)10月、第18回オリンピック東京大会に併せて開催された「世界青少年キャンプ」に対し日本ユースホステル協会では役員や団員を多数参加させ積極的に協力を行いました。

 ユースホステル運動の生まれ故郷、ヨーロッパへホステリングをしたいという願いは、わが国でユースホステル運動が発足して以来、誰しもが持つ夢でした。この夢が昭和40年(1965)7月に実現しました。

 前年、外貨事情の好転から、一般の海外旅行が自由化されたという環境もあって、中山副会長(当時)から「一つこの夢を実現しよう」との発意があり実現へのステップとなりました。現在のように誰もが気軽にできる海外旅行ブーム時代では考えられないほど繁雑で、多方面にわたる交渉を必要とし、準備段階を経てチャーター機による第一回ヨーロッパホステリングは、昭和40年7 月5日から45日間の長期旅行でした。団長は金子智一、参加者127名、うち70名が女性でした。

 戦後、外国へこれ程多数の若人が一団体で出かけたのはこれが最初であり、また受け入れ国側も初めてであったので各国とも大歓迎で、連日のように政府要人を訪問し、また都市の首長の招待を受け、さながら国賓のような待遇でした。団員もまたこれに応え、着物姿で琴、三味線、舞踊を披露し日本文化の紹介に努めました。訪問国は欧州8ヶ国で最終訪問国はポーランドでした。

 この第一回ヨーロッパホスミテリングの成功は、その後の団体による海外ホステリングの塙矢となり、以後毎年のように続けられることになりました。

 このように国際交流が進むにつれ、国際行事もますます盛んになり、受け入れ体制の整備も行われ、昭和41年12月には、国際委員会が発足、翌42年2月、日本ユースホステル協会国際奉仕団(ISC)が結成され研修を行っています。
もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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