■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
☆会員減は止まらず
☆桜内義雄の10年間と二人の理事長
藤井務理事長の時代
☆兼松保一理事長の時代
■1991〜2000
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兼松保一理事長の時代
兼松は、戦後初めてアメリカのユースホステルおよび国際ユースホステル連盟と接触した学生ワンダーフォーゲル関係者の一人で、1949(昭24)年日本を訪れたアメリカユースホステルの創立者モンロー・スミス夫妻にユースホステルを教えられ、その後彼らの援助でアメリカに留学し、留学を終えてからはスミス夫妻をリーダーとするトラックによる世界一周団の助手として参加し、彼らとイクリーで別れてからは一人で中近東、アジア、中国などを貧乏旅行しながら日本までかえりついた男で、その旅行記は「貧乏旅行・世界一周」(秋元書房刊)として当時のベストセラーとなりました。
日本ユースホステル協会には設立当初から発起人として参画しており、母校中央大学で野外教育担当の講師、助教授、教授をつとめ、日本ユースホステル協会の役員をしていましたが、持ち前の国際知識を駆使して1978(昭53)年以降は国際ユースホステル連盟の執行委員もつとめています。
野外教育の専門分野を持ち、国際通の知識を兼ね併せ、ユースホステルに関しては一から十までを兼松は熟知していました。彼の識見と持ち前の行動力は、会員数が低減して魅力と活力を失ったユースホステル運動を活性化するには最適と思われ、関係者の与望を担って就任しました。
1987(昭62)年2月、新理事長についた兼松は仕事は借金の借りかえ。ユースホステル建設のために年金福祉事業団からの借入金が3億5千万円もあり、打ちつづく会員減で利息の支払いもままならなくなっていたのをワンダーフォーゲルをやっていた仲間が富士銀行におり、富士銀行から2億を低利で借りかえてしまいました。そして金利の支払いを約3千万円少なくしました。
組織の改革についてはまず総合企画委員会を設置し、未加入者のユースホステル宿泊、ユースホステルの活性化、事業方針策定を研究させました。1987(昭 62)年10月16日の協会創立記念日には、東京・渋谷の国立オリンピック記念青少年総合センターにおいて「1000万会員突破記念・ユースホステル運動推進のつどい」が盛大に開催され、会員数低減の不況風を追い払うべく気勢を上げました。
福田赳夫名誉会長、桜内義雄日本ユースホステル協会会長、水島康雄常任顧問、森喜朗日本ユースホステル議員連盟会長、山岡賢次議員連盟事務局長をはじめ各界各層から650名の参集を得たのは、協会関係組織が久々に全エネルギーを結集できた成果であったといえます。
1988(昭63)年は定例会議の各委員会・研修会などが活発に開かれ、懸案の諸問題に積極的に取り組みました。特に末入会者のユースホステル宿泊については当日に限って700円を追加徴収し、2年間の試行ながら体験宿泊を可能にし、ユースホステルの一部オープン化とPRに踏みきりました。
8月下旬、カナダ・カルガリーで開催された第37回国際ユースホステル 連盟総会には、連盟執行委員も兼ねる兼松をはじめ、第38回総会日本開催のPRも兼ねて開催地の飯塚柏崎市長、大谷六日町町長ほか50数名が大挙して参加しました。
11月には第38回国際ユースホステル 連盟日本総会を資金面でサポートするユースホステル運動推進協力募金委員会(名誉委員長福田赳夫、委員長桜内義雄)がスタートしました。1989(平一)年に特筆すべき事柄があります。この年の会員数183、797名、前年の1988(昭63)年は182、155名でしたから、わずか1642名ながら会員数は前年より増加したことになります。1973(昭48)年以来16年間も減り続けてきた会員減にこの年やっと歯止めがかかったのですから、まさに歴史的な出来ごとといってよいです。
同年3月には、1990年国際ユースホステル大会に向けての組織委員会・実行委員会が設置され、前年末に設けられた国際総会対策室とともに会議が重ねられ、翌年度の準備に忙殺されました。
1990(昭2)年6月25日から7月2日にかけて1990年国際ユースホステル大会と第38回国際 ユースホステル連盟総会が新潟県六日町と柏崎市で開催されました。特に郵政省に働きかけて、この大会のために特別の記念切手が2100万枚発行されました。
またこの国際会議の会場はこのためにつくられた六日町国際ユースホステル付属体育館があてられました。今までの国際会議のようにお祭りさわぎをするだけでなく会議のあとに何かを残したいという兼松の執念の結晶であり、日本自転車振興会、さらに地元の六日町、小栗山区の協力によって、世界でもはじめてのユースホステル付属体育館が誕生したのです。海外からの参加者は70ヶ国400名をこえ、7000名をこえる一般市民の参加を得てすばらしい盛り上がりを見せました。このことは、ユースホステル運動の底力と魅力を関係先および一般に再認識させるうえでたいへん効果的でした。永年国際ユースホステル連盟と密接な関係を保った兼松・の執念と桜内会長はじめ関係各位の熱心な努力が報われたものでしょう。この年の会員数は195、804名、前年の183797名に比べて12007名増(7パーセント増)となりました。1990年国際ユースホステル大会・第38回国際ユースホステル連盟総会を大成功に導いたこのエネルギーを、久々のユースホステル活性化の上昇気流に今後もうまくとりこみたいものです。 |