藤井務理事長

■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
  ☆会員減は止まらず
  ☆桜内義雄の10年間と二人の理事長
  藤井務理事長の時代
  ☆兼松保一理事長の時代
■1991〜2000

藤井務理事長の時代

 会長を補佐する理事長は、1979(昭54)年6 月以降藤井務が就任していました。藤井は日本ユースホステル協会創立当初からワンダーフォーゲル関係発起人の一人として関与しており、その後も日本交通公社(JTB)に永く勤務して旅行や野外活動の経験も深く、その手腕は大いに期待されていました。

 就任当初の1981(昭56)年、会員数低落傾向に歯止めをかけるため、まずホステルの施設と運営について総合的・体系的な見地からの再検討と新構想の樹立を掲げてスタートしました。

 ついで、1982(昭57)年、具体的にはユースホステルの改善、そしてホステル規定の作成とホステルの再契約となり、さらに1983(昭58)年全国 ユースホステルペアレント会の発足へとつながります(1972年 5月発足の全国ペアレント連絡協議会は解散)。

 そして、ユースホステル運動再建の根源的な解決策として協会各階層有識者の参加を求めて9月に基本施策検討特別委員会(水島康雄委員長)が設置されました。3回の全体会議、各4回の組織・運動・財政の小委員会、2回の答申起草委員会を経て、12月には桜内会長宛て答申書が提出されました。

 1984(昭59)年からは、会費の値上げにともなってハンドブックの無料配布が実施されました。
1985(昭60)年3月に、従来のホステル規定付則を改定して会員以外でも500円を徴収すれば臨時に宿泊させてもよいという条項を削除しました。

 継続的な会員減少の中で非会員を宿泊させることは、さらに会員減少につながるという考え方を押し進めたもので、今までまがりなりにも認めていた非会員の宿泊をしめ出したわけです。しかし、この考え方はユースホステルが一部の人たちのものだけの閉鎖的なものになり、会員減少にさらに拍車がかかるのではないかとの反対論も抱き起こして、のちのちまで論議を呼ぶ問題になってしまいました。

 10月に日本ユースホステル議員連盟が衆参両院議員、与野党を問わず、社会教育・スポーツに関心のある議員を糾合して発足しました。1986(昭61)年2月には、施設面でユースホステルより一段格上げのユースゲストハウスが導入され、第一号が北海道知床に誕生しました。1987(昭62)年2月、4期7年余を会員数急減の中、組織の改編と運動の活性化に取り組んで苦闘した理事長の藤井務は会員減少ストップの見通しのたたないまま退任し、兼松保一が次期理事長に就任しました。
もっと詳しいことを知りたい方は、日本ユースホステル協会(http://www.jyh.or.jp/index2fr.html)へ御連絡ください。

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