■日本ユースホステル協会史
■1951〜1960
■1961〜1970
■1971〜1980
■1981〜1990
☆会員減は止まらず
☆桜内義雄の10年間と二人の理事長
藤井務理事長の時代
☆兼松保一理事長の時代
■1991〜2000
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桜内義雄の10年間と二人の理事長
1981(昭56)年2月、第9代会長として衆議院議員桜内義雄が就任しました。同年4月には桜内義雄日本ユースホステル協会会長就任を祝う会が目白・椿山荘で、10月には日本ユースホステル協会創立30周年記念式典・祝賀会が神宮外苑・日本青年館で新会長を迎えて盛大に開催されました。
桜内は自民党幹事長、中曽根派の大幹部でありながらボーイスカウト振興国会議員懇談会名誉会長、宝塚歌劇団後援会・愛宝会会長、音楽議員連盟会長などスポーツや芸能関係の幅広い関係各団体の要職にある、異色の政治家でした。鈴木内閣当時は外務大臣の要職にあり、国際的な青年運動である日本ユースホステル協会の会長としては、まことに得がたい最適の人物でした。
1980年代初めの数年間はユースホステルにとって大幅に会員減が続く冬の時代でしたが、この大物会長の登場でなんとか会員減に歯止めをかけ、再飛躍へのきっかけをつかみたいと関係者全員が新会長に大きな期待を抱いたのも無理はありません。事実、桜内会長は、政務・公務の大多忙の間隙を縫って協会の会議に出席し、多くの場合議長として高邁な識見と公平な運営によって大方の信頼を得ていました。
年々数万名ずつ減少する会員問題と逼迫する財政事情をかかえ、ギクシヤクする組織の運営に苦しみながらも、何とかユースホステル運動が一団となってこの時期耐えられたのは、桜内会長の温和で真筆な姿勢、老練で適切な判断力と指導力が大いに働いたからにはかならないでしょう。
桜内会長は在任10年、1991(平3)年2月に会長職を自民党代議士、日本ユースホステル議員連盟会長の森喜朗にゆずりました。桜内は前年の 1990(平2)年2月、その人格・識見と公正な会議運営の手腕を買われて国会の最高栄誉である衆議院議長に就任し、公務最多忙となったため、後進に道をゆずったのです。 |